「まるで戦前」は杞憂なのか

 戦後の貧しかった時代や、日本経済が発展途上だった頃、庶民はモノを持つ暮らしに憧れていた。衣食住について、どれだけお金をかけられるかがステイタスだった。バブル期などは、若者でもこぞって目立つブランド品を持ち歩いた、という時代だっただろう。

 国民の平均的な生活レベルが上がり、また価値観が多様化する中で、ものを持つ余裕がありながらあえてそうしないシンプルな暮らしが一部で提唱されるようになった。「ミニマリスト」という言葉が生まれたり、断捨離がはやったりする風潮の中で、「あえて」モノを持たないスタイルを選ぶ人が出始めた。

 平均的に豊かになったことで、わざわざモノを持っていることを見せびらかして見えを張る必要がなくなったため、「持たない選択」ができるようになったともいえるかもしれない。

 しかしここへ来て、少し事情が変わってきてしまっているようだ。

 依然として「ミニマリスト」の生活をあえて選ぶ人がいる一方で、将来的に最低限度の生活ができなくなるかもしれない不安を抱えている人が増えてきているように感じられる。

 タレントのタモリさんが昨年末に出演したテレビ朝日の『徹子の部屋』のなかで、黒柳徹子さんから「来年はどんな年になるでしょう」と聞かれ、「新しい戦前になるんじゃないでしょうか」と答えたことが話題になった。

 この言葉を笑い飛ばせないところに、時代の閉塞感を感じる。

 今年1月末には毎日新聞に「まさかの具なしカップ麺 安さで物価高に人気?それだけじゃない」(23年1月27日付)という記事が掲載されている。この具材のない低価格カップ麺は15年まで販売されていたが、昨今の物価高により再販売が決まったという。

「あえて」ではなく、具なしカップ麺を選ばざるを得ない人がいるのである。政治家たちにとってこれは個人の努力不足で自業自得なのだろうか。庶民の経済苦への不安に、だいぶ鈍感なように見えて仕方ない。