AIアバターがはやったわけ
「シェアする楽しさ」と「シェアのしやすさ」

 しかしAIアバターの楽しさの真髄は、それをシェアすることにあるのではないかと感じられた。たしかに生成された画像を見るだけでも十分面白いが、それを他人とシェアすることで心底楽しめる準備が整うのではあるまいか。

 たとえば筆者なら、この記事に画像を添えて、読者の皆さんに閲覧していただく前提があったので、AIアバターの作成がこれだけ楽しかったのである。

 ではなぜ、AIアバターのシェアが楽しいかといえば、自分とは別人だが、確実に自分が素材にはなっている、美化された自分を他人に見てもらうのが快感だからである。美化された自分は、厳密には自分ではないけれど“おおむね自分”であり、その“おおむね自分”が他人から評価されればうれしいのである。

 Instagramでは、たとえば著名人が似顔絵風に仕上げた自分のAIアバターを紹介して、「どれくらい似ている?」と尋ねたり、自分のプロフィール画像・アイコンにしたりしている。自分のAIアバターをシェアしたいというちょっと照れくさい承認欲求も、「どう?」「面白いでしょ」という切り口なら軽くごまかせるのである。

 AIアバターがはやった理由については、それを「シェアする楽しさ」に加えて、この「面白いでしょ」というスタンスでSNSに投稿できる「シェアのしやすさ」にもあった。「私を見て!」だけで投稿するのは腰が引けるが、「面白いでしょ」がためらう自分の背中を押してくれるわけである。

 そして現代、SNSの自分のアイコンの重要度はとみに増している。アイコンは“自分の分身”か、はたまたSNSに重きを置いている人にとってはそれ以上の意味合いを持つ。「自分のアイコンをどうするか」は、相当に重大な関心事である。

 そのアイコンが、確かに自分自身ではあるが大なり小なり美化されている。みんなやっているから、恥ずかしくもない。そして、面白いからシェアしやすい。こうした要因から、AIアバターが多くの人に選ばれるのは、今の時代の必然であろう。