隣同士、ロシアと中国の間にあった「壁」に変化
文化大革命時代(1966〜1976年)に、農村下放(農村に強制的に送られ、労働すること)を強いられた上海生まれの私は、下放先の黒竜江省の田舎で多感な青春時代を送った。
そこで厳しい野良仕事の合間に、農場の古老たちが語る彼らの青春時代の物語をよく聞いた。中国と旧ソ連が良好な関係を保っていた時代に、当時20代の古老たちは船で黒竜江(アムール川)を渡り、旧ソ連の女性と一夜を共にしてから、翌朝にまた中国側に戻り、仕事場へ赴いたといった話だった。
ところが、1969年3月、黒竜江の支流であるウスリー川にある珍宝島(ダマンスキー島)で、中国と旧ソ連による激しい軍事衝突が発生した。その翌年に、国境地帯に送り込まれた当時10代半ばの私にとっては、古老たちの旧ソ連側での思い出話は『千夜一夜物語』のように聞こえた。
冬になると、黒竜江は凍って川面を歩けるどころか、荷物を載せたトラックも通行できる。それなのに、私が上海の大学に入るまで、川で隔てられた国境の壁を飛び越えることはできなかった。
ところが最近、ロシアと中国を分かつ川を渡る橋をめぐって、変化が起きている。