物価目標は「いつか」フォルダへ
「遊び」のある物価目標は機能するか

 物価目標の「2%」も、いずれはやらなければならないとは思っている。しかし、今すぐにそれを実行しようとすると、国債市場や金融機関収益などへのコストが大きい。それに、今すぐにやらなくても、差し当たって困ることはない。だから、とりあえず「いつか」のフォルダに放り込んでおこう、ということではないか。

 では、物価目標「2%」の実現を「今すぐにやらなくても、差し当たって困ることはない」とはどういうことだろうか。

 例えば、インフレ率がプラス20%、マイナス20%といった悲惨な状況が今まさに目の前で起きているのであれば、「いつか」などと悠長なことは言っていられない。

 しかし、日本のインフレ率は過去四半世紀にわたって、マイナス2%からプラス2%の狭い範囲に収まっていた。昨年以降はインフレ率が上昇傾向にあるとはいえ、それでも直近の数字はせいぜい4%で、目標値である2%から大きく離れているかといえばそれほどでもない。

 目標値からの乖離(かいり)は小さい、だから「いつか」に放り込んでおこうとなるのだろう。

 ただし、今は手を着けないということは、裏を返すと、いざというときには着手する覚悟があることを意味する。インフレ率がプラスにせよマイナスにせよ、2%の目標値から大きく離れた場合は、「いつか」のフォルダから厳格な締め切り管理のフォルダへと移すということだ。歯医者の例で言えば、痛みが激しくなったときには、「いつか」ではなく直ちに実行となる。

 整理すると、インフレ率が目標値の近傍にある場合は目標がほぼ達成されているとみなし何も行動を起こさない、しかし、インフレ率が目標値から大きく離れた際には、引き締めなり緩和なりのアクションを起こし、それによってインフレ率を目標値へと引き戻す、ということだ。

 目標値をピンポイントで捉えるのではなく、ある程度の「遊び」を許すともいえる。以下ではこれを「遊び」のある物価目標政策と呼ぶことにする。

 令和臨調などの提案にある「長期的」な目標の正確な定義は不明だが、「いつか」のフォルダに放り込んで、今後一切無視しましょう、ということではないだろう。仮にそういうことなら、それは「いつか」のフォルダではなく、「ゴミ箱」に放り込むことになってしまうからだ。

 筆者の理解では、これらの提案の趣旨は、今はともかくとして、いざというときにはしっかり反応するという意味で、遊びのある物価目標政策への移行だ。

 タスク管理アプリが便利なのは、ユーザーの時間の使い方を厳しく管理してくれることだ。物価目標政策の効能も中央銀行の行動を厳しく管理することにあると誤解されがちだが、決してそうではない。

 同政策の肝は、中央銀行の行動が2%の目標に縛られている事実を広く人々に知らせることによって、人々のインフレ予想を、目標値に錨(アンカー)を下ろすようにつなぎ留めておくこと(ノミナル・アンカー機能)にある。

 では、このノミナル・アンカー機能は、通常の物価目標政策と、「遊び」のある物価目標政策でどの程度、異なるだろうか。

 容易に想像できるように、遊びが微小であれば両者の差は無視できるだろう。

 一方、例えば遊びのサイズが2%で、遊びのある物価目標のレンジが2%±2%の場合はどうだろうか。異次元緩和の10年間の毎月のCPIインフレ率は、2%±2%のレンジに入っている。

 つまり、もし10年前のアコードに記載されていた物価目標政策にこの程度の遊びがあったとすれば、異次元緩和はそもそも行われなかったということだ。その意味ではそれなりに広いレンジだ。問題は、この程度の遊びのある物価目標政策がノミナル・アンカーとして十分機能するかどうかだ。

 楽観的な人は、2%の目標値をきちんと公開しその達成を人々に約束するという、物価目標政策の根っ子の部分は変えていないのだから、多少の遊びがあっても、ノミナル・アンカー機能は果たせると考えるかもしれない。

 他方で、足元のインフレ率が目標値を超えても下回っても、遊びの範囲内ならば中央銀行は何もアクションを起こさないということになると、人々のインフレ予想が目標値(またはその近く)にアンカーされないのではという懸念もある。後編では、これらの点について簡単なモデルを用いて考察していこう。

>>後編『物価目標を緩くして「日銀が怠ける」とどうなる?渡辺努・東大教授が解説』を読む