昭和の男たちも求めていた「平等」
現実が変わらなかったのはバブル期のせい?

 今回の炎上の原因が、ジェンダー平等の意識が高まったからではないと考えるのは、もうひとつ理由がある。実は「男がデート代をおごるべきか、割り勘にすべきか」という議論は、「男は外で働き、女は家を守る」という考えが常識だった67年前から存在しているからだ。

 例えば、高度経済成長期が始まった1956年1月26日の読売新聞には、31歳の無職男性からデート代を割り勘にすべきだとして、「財布の方も同権で」という以下のような投書が寄せられている。

<恋人であろうと、夫婦や肉親以外の男女間の交際費は等しく出し合う方がよいと思うが如何。いつでも男性におんぶしていく弱さは、かかるところにも育てられていると思う>

 また、1958年にも「金がなくては恋愛もできない」として「デート代の割り勘ルール」を望む投書が掲載された後、読者からの反響が大きかったということで、評論家の意見も入れた特集記事も組まれている。

 それによれば、20代の若い人たちは「賛成」の声が多く、「それではあまりにユメがなさすぎるという反対論は、主に中年すぎの主婦」からあったそうだが、それでも「男が払うのは当然」という意見は少ないという。

 今回、深田さんや、「やっぱり男性にはおごって欲しい」という女性たちに対して、「私は割り勘でいい」という女性もかなりいたが、このような日本人のデート代に関する「意識」は高度経済成長期も今もそれほど変わっていないということだ。

 その一方で、この時代から30年くらい経過したあたりで、急に深田さん的な考え方が常識になった時代もある。そう、バブル期だ。

 50代以上の人は覚えているだろうが、今から30年以上前、女性の気を引くために、食事をおごる「メッシー」、車で送迎をする「アッシー」、高級ブランドのプレゼントをする「貢ぐ君」と呼ばれるような男性たちが巷にあふれていた。この時代、深田さんのようなことを主張する女性は、石を投げれば当たるほどいたのだ。

 では、なぜこの時代、男性たちは「デート代は男性がおごるべき」という価値観を受け入れたのか。1950年代に比べて、急に男女平等の「意識」が退化したわけではなく、シンプルに経済的に余裕があったからだ。バブル景気で若い男性も豊かになったので、デート代にお金を費やすことができたのである。