参勤交代は宿場をはじめ、街道筋を発展させるという大きな経済効果をもたらした。五街道およびそれに付属する脇街道は、参勤交代など公用目的に整備されたものだが、やがて庶民の寺社巡りや温泉旅行にも利用され、街道筋はますます栄えた。

庶民に一番人気の街道が
「中山道」だった理由

 東海道に次ぐ幹線道は中山道である。当初は「中仙道」と書かれていたが、1716年、新井白石の進言により公的には「中山道」に統一された。

 中山道は江戸日本橋から京都三条大橋までの六十九次、距離にして約526km。これは東海道より30kmほど長く、宿場は16宿も多い。中山道には険しい山道が多く、寒さも厳しい。当然、一日で歩ける距離も短くなる。宿場が多かったのはそのためだといえる。

 それに比べ、東海道は海沿いをたどるコースで険しい山道は少なく、気候も温暖。街道もよく整備されていた。中山道に比べれば快適な旅ができるはずだ。にもかかわらず、東海道を避け中山道を歩く旅人も多かった。最大の理由は、東海道には難所が多かったからである。

東海道と中山道の宿場町(人口上位)