橋も渡船もない川越し、
関所の厳しい取締り
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」といわれたように、東海道には行く手を阻む大きな河川が何本もあった。
最も有名なのが大井川だ。江戸防衛の目的から、大井川には架橋も渡船も許されず、川越人足に頼るしかなかった。だが、上流で雨が降るとたちまち増水する。水位が増すごとに川札代もつり上げられた。この料金がまた馬鹿高い。宮(熱田)から桑名までの、七里の渡しの船賃より高かったという。しかも、一定の水位を超えると川止めを食らう。1日、2日の川止めで済むとは限らない。一定の水位まで下がらなければ、何日間でも川止めを食わされる。この間の宿代が大きいのだ。東海道での歩行渡しは大井川ばかりではない。安倍川や酒匂川でも歩行渡しが唯一の交通手段だった。
関所も、旅人にとっては難所で、東海道の取締りはどの街道にも増して厳しかった。そのため、少々大回りしても険しい山道があっても、安心して歩ける中山道の方がましだということなのだろう。
一方、中山道は山深いルートだったとはいえ、箱根峠ほどの険しさではなかった。それに、中山道の大きな魅力は、宿賃が安いことである。東海道の旅篭より2割ほど安かったというし、もてなしもよかったらしい。風景もよく、東海道のように人の往来も多くなかったので、のんびりした旅が楽しめた。
ちなみに、参勤交代で東海道を通る大名は150家だったのに対し、中山道は約30家と少ない。この面でも気分的に気楽だったのだろう。冬の寒さは厳しいが、夏は涼しく、東海道よりはるかに快適な旅ができた。東海道に松並木が多かったのは、真夏の炎天下に涼をとるための道路施設だったともいえる。