除染した土壌の経路は
仮置場→中間貯蔵施設→最終処分場

馬場 福島県双葉郡の双葉町(ふたばまち)と大熊町(おおくままち)にまたがるエリアに、福島第一原発を取り囲むように位置しています。

除染状況「汚染状況重点調査地域」(左図)と「除染特別地域」(右図)。提供:環境省
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――今現在、福島県の除染というのはどのくらい進んでいるのですか?

馬場 2018年3月19日までに、「帰還困難区域」を除いた、岩手県、宮城県、福島県、栃木県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県の8県100市町村のすべてで面的除染が完了しています。「面的除染」というのは、ある一定の面をくまなく除染する、という意味です。

――「帰還困難区域」とはどのようなエリアをいうのでしょうか?

帰宅困難区域帰還困難区域 2022年3月11日撮影 Photo by KMGs
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馬場 「事故後5年を経過してもなお、放射線の年間積算線量が20ミリシーベルトを下回らないおそれのある、2011年12月26日時点で年間積算線量が50ミリシーベルト超の地域」です。

――除染作業のイメージがなかなかつかないのですが、具体的にはどのようなことをしているのですか?

馬場 家の場合は、庭の土を削り取ったり、屋根を拭き取ったりします。雨が降ると雨どいは特に(放射性物質の)セシウムが溜まります。そのため、雨どいの落ち葉や堆積物はしっかりと除去します。

 農地の場合は、表面の土を削り取ったり、線量が低い場合は、表面の土を30cm程度の深さで下側の土と入れ替える「反転耕」ということを行ったりします。道路では、落ち葉や苔(こけ)などを取り除いたり、高圧水を当てて洗浄したりします。

――けっこうアナログというか、地道な作業なんですね。

馬場 そうですね。セシウムというのは、粘土質のものに貼り付く性質があります。一度定着すると、水に溶けだしにくいんです。そのため、付着した土自体を取り除いていきます。多いときで1日約2万人の作業員が稼働していました。

――そのようにして生まれた除去土壌が、中間貯蔵施設へと運ばれていくのですね。

馬場 まずは各地域の仮置場で一時的に保管し、その後、中間貯蔵施設へと搬入します。

――中間貯蔵施設へ運ぶ前に、仮置場に置いておく。

馬場 そうです。発災直後の2011〜2012年頃は、やはり、「除染した土壌を一時的に置くため、スペースを貸してくれませんか?」とご相談に伺っても、「まず謝れ」「故郷を返せ」と、門前払いされたことは数多くありました。これは仕方のないことです。

 何度もご説明にあがるうちに、次第に、復興のために協力してもらえる雰囲気が出始めて、まずは、田村市、楢葉町、川内村で仮置場用のスペースを借りることができ、準備が整った後、2012年7月からこれらのエリアで本格的な除染が始まりました。

 一番最初に除染が終わって、避難指示が解除されたのは田村市で、2014年4月です。その後、2015年9月に楢葉町、2016年6月に川内村と、除染を終えて避難指示が解除されていきました。

 線量が下がったので住民の方々が帰れる状態となり、避難指示も解除されたわけですが、仮置き場に、除去土壌が詰まった黒色の土のう袋がまだたくさん積まれている状態です。この時点では中間貯蔵施設への搬入ができない状態だったんですね。

 除染と並行して、中間貯蔵施設の設置を進めなければなりません。さかのぼって2013年に、中間貯蔵施設の設置を、双葉町と大熊町、そして福島県に、環境省が要請しました。双葉町と大熊町には大変重い決断をしていただき、2015年2月に中間貯蔵施設の設置に関する協定を締結しました。

 ですので、搬入が開始するまでは本当に出口の見えない状態でした。とにかく仮置き場を多く造って、除去土壌を置いて、でも、すぐに場所がなくなる。そのため、仮置場に保管されている落ち葉や津波のがれきなどを燃やすための焼却炉を、地元のご理解を得ながら12個建てて、燃やして灰にして、かさを減らす、という作業を続けました。

 少しずつ地元の皆様のご理解を得ることもできて、ようやく、それぞれの仮置き場にあった除去土壌を、中間貯蔵施設へ運び入れることができるようになりました。実際に搬入を開始したのが、2015年3月です。

 その後、先ほどお伝えしたように、2018年3月19日に、「帰還困難区域」を除いた、8県100市町村のすべてで面的除染が完了しました。仮置場の原状回復も進めているところです。

 福島第一原発が立地する双葉町と大熊町は特に広い範囲にわたって汚染されたため、除染と避難指示解除が遅れていましたが、2019年4月に大熊町で、2020年の3月には双葉町で、一部ですが、避難指示が解除されています。

――避難指示を解除したとしても、「もう郷里に戻りたくない」「戻るのはあきらめた」という方々もやはりいらっしゃるのでしょうか。