私が伴走しているクライアントの担当者であるA課長が、彼の上司であるB部長と一緒に役員にプレゼンするというので、その場に陪席をさせてもらったときのことです。その起案書をつくるプロセスでは、A課長と一緒に何度もB部長に確認・相談。全員が納得したうえで、プレゼンに臨みました。

 ところが、残念なことに役員から好感触は得られず、「実現は難しいのではないか」とあえなく却下。すると驚いたことに、B部長は「私も難しいと思っておりました」と同調したうえに、A課長に向かって「もっと実現性をしっかり検討するように」と注意を与えたのです。

 A課長の落ち込みは、見るに忍びないほどでした。きっと自分の案が通らなかったことよりも、信頼して一緒に考えてきたはずのB部長に裏切られたことがショックだったのでしょう。退室後、A課長は私に愚痴をこぼしていましたが、徐々に感情が昂っていったのか、「部長の本心を問いただしてくる」と息巻き、「もうこんな部長の下では働きたくない」とまで言いました。

 私も、同感でした。平静を装っていましたが、実のところ私も腹の中は煮えくりかえっていました。「信頼してきた部下を裏切るなど、上司の風上にも置けない」と心の中で、そう毒づいている自分がいたのです。

上司を言い負かしても得るものはない

 ただ、伴走者である私が冷静さを欠いてはいけないと悟り、彼には「B部長を責めても仕方がない」と諭しました。

 仮に上司と喧嘩して、言い負かしたとしても、それ以降、仕事がやりにくくなるだけ。それよりも、この起案書の承認を勝ち取ることが最優先。そう思い定めて、淡々と起案書を修正して、役員承認を取り付けることに注力すべきだと説得しました。

 そして、起案内容を修整し、再度、役員にプレゼンをして、無事承認を取り付けることに成功。「B部長に指導していただきました」と言い添えて、役員の前で部長を立てる配慮も忘れませんでした。B部長との関係はこれからも続きますから、ここで恩を売っておいて損はないからです。すると、案の定、B部長は満面の笑みを浮かべ、「よく頑張った」とA課長を労いました。

 こうして、一件は落着したのですが、B部長に対する「嫌悪感」はなかなか消えませんでした。

 いえ、もともと、ぐずぐずと意思決定を引き伸ばす、優柔不断なところのあるB部長に対して、私はあまりよい感情を抱いていませんでしたが、今回の件で、その「嫌悪感」は決定的になったというのが正しいでしょう。しかし、その後もB部長に伴走し続けなければならないわけで、この「嫌悪感」をどう処理すべきか、私自身も悶々とせざるを得ませんでした。

裏切りの奥にある「人間の哀しさ」を許容する

 なぜ、B部長はあんなことをしたのか?

 私は、何度もそう考えました。

 そして、あるときB部長の「哀しさ」に思い至りました。

 B部長は、同じ部長クラスの中では実績に乏しく、役員からの評価も決して高くはないように見受けられました。だから、役員に却下されたときに、立場の弱い自分をとっさに守ろうとしてしまった。普段から優柔不断なところがありましたが、それも、性格上の問題だけではなく、自分の立場上、判断ミスを犯すことを強く恐れていたのかもしれません。そこには、人間の「哀しさ」があるように思いました。そして、その「哀しさ」を許容しようと思ったのです。

 もちろん、だからと言って、部下に責任を押し付けて、「保身」を図ることを正当化することはできません。しかし、私が同じような立場に置かれていたら……と想像すれば、同じ人間として、彼の「哀しさ」を理解することはできる。そう考えると、「嫌悪感」や「怒り」の感情がスーッと和らいでいくような気がしました。

 そして、こう考えました。人間はそう簡単に変わらない。特に、すでに50歳を超えたB部長が変わる可能性はほとんどないでしょう。であれば、彼の変化を期待するよりも、それを許容したほうがいい。B部長がそういう人であることを許容して、それを前提に職場が機能するように働きかけるのが自分の役割なんだ、と。

「嫌悪感」を「共感」へとシフトするディープ・スキルとは?

 私が、B部長の本心を理解できていたかどうかはわかりません。

 しかし、私なりに、B部長の「哀しさ」を理解することで、「嫌悪感」や「怒り」が鎮まり、前向きな思考ができるようになったのは事実です。

 もちろん、“上から目線”でB部長の「哀しさ」を許すわけではありません。そうではなく、自分の中にも、同じような「哀しさ」が存在していることを認める感覚です。私は絶対に、自分の「保身」のために、部下に責任を押し付けるようなことはしないとしても、それでも、私の中にもそういう「哀しさ」や「弱さ」自体は存在していることを認めるのです。そうすることができれば、「嫌悪感」から「共感」へとシフトすることも可能になると思うのです。

 組織で働いていると、こうしたトラブルは避けがたく起こります。

 そして、こうしたトラブルを生み出す背景には、往々にして、人間の「哀しさ」が存在しているように感じます。その「哀しさ」に対する理解を深めることによって、自分の感情を上手にコントロールすることは、ビジネスパーソンにとって不可欠な「ディープ・スキル」だと思うのです。

(本記事は『Deep Skill ディープ・スキル』(石川明・著)から抜粋・編集したものです)