英パブリックスクール現地校の内実と日本の英語教育英語科ネイティブ教員としても30年近いキャリアを持つ(宝仙学園中学での授業風景)

小学校でも英語が必修化するなど、日本の学校での英語教育はここ数年内でも大きく変化している。日本にも英国の私立寄宿学校であるパブリックスクールが、次々と進出している。英語科のネイティブ教員としてキャリアを積み、マレーシアでは現地校設立にも関与したスティーブン・バードさんに、その実情を伺った。(ダイヤモンド社教育情報、撮影/平野晋子)

英パブリックスクール現地校の内実と日本の英語教育
スティーブン・バード(Stephen Graham Bird)

宝仙学園中学・高等学校インターナショナルディレクター


1966年英国生まれ。大学卒業後、足掛け2年間海外を放浪。筑波大学大学院で環境科学の修士号を取得。英会話学校の専任講師を経て、96年から茗渓学園中学校高等学校でネイティブ英語科教員として勤務、国際教育部長として留学プログラムも整備した。2018年、マレーシア・クアラルンプール近郊でのヘンリー8世校立ち上げに参画、国際部門の責任者と英語を母語としない生徒の教育担当を務める。22年11月より現職。

 

 

 

変化するネイティブ教員の役割

――この宝仙学園共学部理数インターは、私立の中高一貫校ではちょうど真ん中くらいの位置付けの学校です。中1生の授業風景を拝見しましたが、たくさんのアクティビティを取り入れてのご授業、お疲れさまでした。

バード 今日授業をしたクラスは36人いる普通のクラスです。私の学んだ英国も含め、海外の学校と文化的に異なるのは、日本の場合、生徒がかなり受け身になっていることです。これは悪いことばかりではありません。しかし、バランスが重要です。

――プロジェクターに映した小テストの解答をGoogle Formsに記入させ、板書したものを全員で声に出して読ませる。あるいは2人組でのゲームのような対話を行うなど、50分の間にいろいろな取り組みがありました。

バード さまざまな刺激を与えることで、生徒が能動的に授業に参加できるようにするためです。中1で英語を好きになってくれれば、中3から高校生になっても苦手意識を持つことがなくなると考えています。

英パブリックスクール現地校の内実と日本の英語教育この日のテーマは動詞の活用(過去形)。もう1人のネイティブ教員と一緒に生徒の関心を喚起するため、いろいろと働き掛ける
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――英語科のネイティブ教員として長いキャリアをお持ちですね。

バード 茗渓学園中学校高等学校(茨城・つくば市)で、英語科のネイティブ教員として22年間働いていました。英国の大学卒業後、2年間世界を旅する途中、日本には3週間の予定で来ましたが、それがだんだん延びてしまいました(笑)。

 当初、日本語は全く話せませんでしたが、公文式で学び、筑波大の大学院で環境科学の修士号を取りました。それと同時に、つくば市内にある英会話学校の講師を務め、1996年から茗渓学園で教員になりました。

――茗渓学園は、帰国生も含む筑波の研究者の子弟の教育のために設立されています。ちょうど英語指導助手(ALT)が日本の学校に配置され始めた頃ですが、在職中に教え方も含めどのような変化がありましたか。

バード 国際理解教育を柱の一つとする茗渓学園は、「外国人のいない日は一日もない。毎日が異文化交流」という学校でした。ALTはいませんでしたが、生徒は、日々、外国人教師や帰国生を通じ本場の英語に接していました。

 後述のクライストカレッジ・ブレコン校からは、短期留学生を受け入れていました。 また、ラグビー部は、ニュージーランドのマクリーンズ校などのチームが来日した際に親善試合を行うなど、長くラグビーを通じた交流がありました。

 このような環境の学校ではありましたが、言語を習得するには、その国で生活することが最善の方法だと、自分自身が身をもって経験していましたので、国際教育部長として、本校の短期交換留学プログラムSOSEP(Study Overseas Student Exchange Program)、AFS(アメリカ野戦奉仕団)やUWC(United World Colleges)を利用した短期から長期まで、さまざまなプログラムを整備し、多くの生徒が海外で学べるように支援しました。

 一方で、帰国生の受け入れも積極的に行い、海外での宣伝活動にも力を入れていました。

――日本の私学で教えてこられて感じたことはありますか。

バード 一般的に、日本の学生や教師はとてもよく働くと言われています。学校は非常に忙しく、休日でも学校に関連する活動がたくさんあります。

 日本は平和です。食事もおいしいですし、日本語でのコミュニケーションで安心も得られます。それで、他国とは異なり、一般の生徒には海外で働きたいというイメージがあまりありません。私は茗渓学園の生徒に対して、常に「リスクテイカー」としてチャレンジを恐れないように伝えてきました。

英パブリックスクール現地校の内実と日本の英語教育クライストカレッジ・ブレコン校の校長やラグビー部コーチらと(1997年) 写真提供:スティーブン・バード氏