養老孟司氏、隈研吾氏、斎藤幸平氏らが絶賛し、毎日・日経・朝日・産経新聞でも書評が掲載された話題のサイエンス書『マザーツリー 森に隠された「知性」をめぐる冒険』──。著者は、TEDトーク「森で交わされる木々の会話」が大きな話題を呼んだカナダの森林生態学者スザンヌ・シマードだ。
本連載では日本語版の刊行を記念し、本文の一部を特別に公開している。今回お送りするのは、彼女の仮説を決定的に裏づけることになった森林実験のシーン。これによって、ある樹木は地下の菌根ネットワークを通じて、自分とはまったく別種の樹木にも栄養分を分け与えているという事実が判明する。そのためにシマードが持ち出したのが、炭素の放射性同位体だった──。
「何か秘密を教えてくれそうだね」
私の実験計画は、アメリカシラカバを放射性同位体炭素14で標識化して光合成産物がダグラスファーに移動するのを辿り、同時にダグラスファーは安定同位体炭素13で標識化してその光合成産物がアメリカシラカバに移動するのを追跡する、というものだった。
こうすれば、炭素がアメリカシラカバからダグラスファーに渡されているかどうかだけでなく、逆の方向、つまりダグラスファーからアメリカシラカバにも移動しているかどうかがわかる──2車線の道路を行き交うトラックのように。それぞれの同位体がそれぞれの苗木にどれくらい溜まったかを計測すれば、アメリカシラカバがダグラスファーに与えるもののほうがダグラスファーから受け取るものよりも多いかどうかも計算できる。そして、木々は単に光を奪い合う競合関係にあるだけなのか、それとももっと洗練された協働関係にあるのかもわかる。
木々は互いに緊密に同調し合い、コミュニティ全体の機能に従ってその行動の仕方を変える、という私の直感が正しいかどうかがわかるのだ。
1週間後、苗木をチェックした私の興奮は、弟のケリーのことを絶え間なく心配していた私にとってはいい気分転換だった。苗木はすくすくと育ち、足首までの高さしかなかったものが膝くらいの高さになっていた。3本組を一つずつチェックしていくバーブと私は、芳しい香りを放ちやわらかな斑の影を落とす苗木たちに迎えられた。小さな木々はしっかりと生きていた。
「何か秘密を教えてくれそうだね」。幹ががっしりしたダグラスファーの枝を引っ張りながら私は呟いた。
ボトルブラシみたいな針葉は、隣に立つアメリカシラカバの、ギザギザした形のやわらかな葉にすでに届いていた。アメリカシラカバの涼しい木陰では、強い日差しから繊細な葉緑体を護られたシーダーが生き生きと輝いていたが、アメリカシラカバの葉が届かないところにあるシーダーは、葉緑素の損傷を防ぐために赤くなっていた。3本の木はとても近いところに立っていて、まるで一つの物語を共有しているかのようだった──始まりと、中間と、終わりがある物語を。
なぜアメリカシラカバとダグラスファーの隣にシーダーを植えたのか、と研究助手のバーブが訊いた。
シーダーは、アメリカシラカバやダグラスファーとは菌根菌のネットワークを形成することができない。その理由は簡単だ。シーダーが共生するのはアーバスキュラー菌根菌で、アメリカシラカバとダグラスファーが共生する外生菌根菌とは共生できないのである。
もしもシーダーの根が、ダグラスファーまたはアメリカシラカバが生成した糖を少しでも手に入れたとしたら、それはダグラスファーまたはアメリカシラカバの根から地中に漏れ出したものだということになる。私はシーダーを対照群として植え、地中に漏れ出す炭素の量と、アメリカシラカバとダグラスファーをつなぐ外生菌根菌のネットワークを通して運ばれる炭素の量を把握しようとしたのだった。
車のバッテリーくらいの大きさで、中身が見える樽形の測定チャンバーがついている携帯用赤外線ガス分析計を使って、バーブと私は、かぶせたテントが狙いどおりにダグラスファーの苗木の光合成速度を遅くしているかどうかを調べた。テントをかぶせなかったダグラスファーの針葉を測定チャンバーに閉じ込める。閉じ込められても針葉は光合成をやめないが、大気中の二酸化炭素の代わりに、その小さな機械のなかの空気を使わざるを得ない。つまりガス分析計は、光合成の速度を計測するのである。
透明のプラスチックでできた測定チャンバーに太陽光が射し込み、メーターの針が揺れた。ダグラスファーの針葉はチャンバーのなかの二酸化炭素を貪欲に吸収し、分析計は、ダグラスファーが最大限のスピードで光合成をしていることを示していた。バーブがその数値を書き留め、私たちは次の3本組がある場所に移動した。
そこのダグラスファーはすっかり陰になり、5%の日光しか届いていない。測定チャンバーをテントの下に苦労して入れ、ダグラスファーの針葉の上にかぶせると、私はホッとしてため息をついた。テントは機能していた。日光を遮断されたダグラスファーの光合成速度は、太陽光に照らされたダグラスファーのわずか4分の1だったのである。また、テントの生地は目が粗くて空気の流れを遮らず、気温を変化させなかったことにも安心した──気温は光合成速度に影響しかねないからだ。次の3本組に走る。こちらは黒いテントがかぶせてあった。半分陰になった苗木の光合成の速度は、前の2つの中間だった。
ダグラスファーを次々にチェックしていくと、それが決まったパターンであることが確認できた。次に私たちはアメリカシラカバを調べた。日光を遮るもののないアメリカシラカバは、完全な日向のダグラスファーの苗木の2倍の速度で光合成を行っていた。緑色のテントで覆った濃い日陰のなかのダグラスファーと比べれば8倍の速度で、このことは、ソース組織とシンク組織のあいだに大きな勾配があることを立証していた。
この2種類の木が菌根のネットワークでつながっており、リード教授が考えたとおり、両者を結ぶ菌糸のなかをその勾配に従って炭素が流れるのだとしたら、アメリカシラカバの葉で光合成によってつくられた糖の余剰分は、ダグラスファーの根に流れるはずだ。ソース組織であるアメリカシラカバの葉から、シンク組織であるダグラスファーの根へ。
私は興奮してデータの数字を調べた。テントがつくる陰が濃ければ濃いほど、アメリカシラカバからダグラスファーへ、ソース組織とシンク組織間の勾配は大きかった。
(本原稿は、スザンヌ・シマード著『マザーツリー』〈三木直子訳〉からの抜粋です)