「わからないけど気になる」は感性が起動したサイン

 この連載の第2回で、「わかる」の語源は「分ける」だと言いました。頭でわかるための言語化・論理化には、多かれ少なかれ「切り分けて、不要とされる部分を捨てる」という犠牲を伴います。物理や化学の試験問題に、「ただし摩擦はないものとする」「試料は全て反応したものとする」といった注釈が書かれていることがよくあります。複雑な現実を単純にモデル化すれば、計算しやすく、明快な答えを導き出せます。しかし、いざ現実に物体を動かそうとすれば摩擦の影響は避けられないし、反応効率も100%にはなりません。

「地球温暖化」のような複雑な問題でも、「石油の使い過ぎが悪い」というように原因を単純化してしまえば、「プラスチックの使用を控えよう」といった、誰にでもわかるシンプルな行動指針を生み出せます。だからといって、エコバッグを持つだけで温暖化が止まるわけではありません。本気で状況を変えるには、「わかる」の先に絡まるようにつながった、膨大な「わからなさ」に向き合う必要があるのです。

 生涯にわたって雪と氷を研究し、世界で初めて人工雪の結晶を作った物理学者、中谷宇吉郎は、こんな言葉を残しています。

 不思議を解決するばかりが科学ではなく、 平凡な世界の中に不思議を感ずることも科学の重要な要素であろう。(『中谷宇吉郎随筆集』所収「簪を挿した蛇」より)

「解決する」を「わかる」に、「不思議」を「わからなさ」に読み替えれば、これまでの私の主張と同じことが語られていると思います。「わからない」を感じている状態は、「わかる」が不足・欠落した状態というより、より大きな「わかる」への可能性が開かれた状態なのです。

 わからないから、不思議に思う。わからないけど、気になって、立ち止まったり振り返ったりしてしまう――。それは紛れもなく「感性」が起動したサインです。わからないからといって切り捨てるのではなく、今すぐわかろうと躍起になるのでもなく、ひとまず「わからないまま、気にする」という宙ぶらりんな状態を味わってみることを、ここでは提案したいと思います。