「蜂谷真由美」と名乗る女性の正体は……?

 逮捕された女性は「蜂谷(はちや)真由美」という名前のパスポートを所持していました。「日本人の親子が爆破テロを引き起こした」というニュースは衝撃的でした。当時、私はNHK社会部にいましたが、「蜂谷親子」のパスポートに記載されていた東京都目黒区の住所に同僚の記者が向かうと、架空の住所でした。さらにパスポート番号は、全くの別人の男性のものでした。偽造パスポートだったのです。

 逮捕された女性は「自分は日本人だ」と主張しますが、明らかに日本語が不自然です。「日本人ではない。北朝鮮の工作員ではないか」との疑惑が高まり、女性の身柄は、日本ではなく韓国に引き渡されました。爆破された航空機は大韓航空ですから、第一次捜査権が韓国にあったからです。韓国での取り調べの結果、「蜂谷真由美」は北朝鮮の工作員の金賢姫(キムヒョンヒ)だったことが判明します。

 当時は、翌年にソウルオリンピックが予定されていました。北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記は、大韓航空機を爆破することで、「韓国は怖い」という国際世論を作り出してソウルオリンピックを妨害しようとしていたのです。

 それにしても、なぜ金賢姫は日本人に成りすましたのか。朝鮮戦争以降、北朝鮮は韓国に工作員つまりスパイを次々に送り込んでいましたが、ちょっとした振る舞いや言葉遣いの違いで、「韓国人ではない」ことが露見し、次々に捕まっていました。そこで、日本人に成りすませば、韓国人にも見分けがつかないだろう、日本人のパスポートを持っていれば、世界中の多くの国に簡単に入国できるだろうと考え、日本人に成りすます計画を進めていたのです。

 逮捕された金賢姫は「日本に子どもを残してきた」という「李恩恵(リウネ)」と名乗る女性から日本語を学んでいました。「李恩恵」とは、何者なのか。捜査の結果、日本で行方不明になっていた田口八重子さんであることがわかります。ここで、1970年代に多発していた失踪事件と、北朝鮮の工作が結び付くことになります。それまで疑惑はありながらも事実かどうかが曖昧だった、北朝鮮による日本人拉致事件に光が当たるようになったのです。