『津軽』の最後を締めくくる
絶望の中での優しさとユーモア

 そこから南下して金木の生家を訪ね、五所川原、鰺ヶ沢などを回る。そして最終盤、小泊で、乳母であった「たけ」との再会。ここは太宰文学の中でも際だって清廉な瞬間だ。

 たけが出て来た。たけは、うつろな眼をして私を見た。
「修治だ。」私は笑って帽子をとった。
「あらあ。」それだけだった。笑いもしない。まじめな表情である。でも、すぐに、その硬直の姿勢を崩して、さりげないような、へんに、あきらめたような弱い口調で、「さ、はいって運動会を。」と言って、たけの小屋に連れて行き、「ここさお坐りになりせえ。」とたけの傍に坐らせ、たけはそれきり何も言わず、きちんと正座してそのモンペの丸い膝にちゃんと両手を置き、子供たちの走るのを熱心に見ている。けれども、私には何の不満もない。まるで、もう、安心してしまっている。足を投げ出して、ぼんやり運動会を見て、胸中に、一つも思うことがなかった。もう、何がどうなってもいいんだ、というような全く無憂無風の情態である。平和とは、こんな気持のことを言うのであろうか。もし、そうなら、私はこのとき、生れてはじめて心の平和を体験したと言ってもよい。

『津軽』の最後は、以下の一文で締めくくられる。「さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。」敗戦の前年に、こんな言葉で小説を終わらせるところに、絶望の中での諧謔とでも言うべき太宰の真骨頂が表れている。

書影『名著入門 日本近代文学50選』(朝日新書)『名著入門 日本近代文学50選』(朝日新書)
平田オリザ 著