死を意識することと、自然を意識することは同じことだと思います。死を考えることと、自然の恐怖を考えることは、どこかでつながっている。そしてもうひとつ付け加えるなら、自然とは怖いものでもなく、さらには優しいものでもない。明るいものでもなく暗いものでもない。自然とは、あくまでも中立のものなのです。

2つの生き方を
持ってみる

 都市のなかで暮らしていると、どんどん生きる覚悟が殺がれていきます。安全が当たり前で、自分の身体そのものが自然だという実感も薄れていく。それを取り戻すためには、自然のなかで暮らす機会をつくることです。

 仕事を辞めて田舎に移り住むというのではありません。できるならば、都会と田舎の両方に拠点をもつことです。古民家などを安く借りて、一年に数週間は自然のなかで畑を耕しながら暮らしてみること。都会と田舎の両方に軸足を置きながら生活をする。私はそういう提案をずっとしてきました。特に30代や40代の働き盛りの人こそ、こうした「二足の草鞋」を履くことをおすすめします。

 どうも日本人というのは、たった一本だけの軸足で立つことが好きなようです。「この道一筋」という言葉が評価される傾向があるのです。職人さんのように、生涯をかけて同じ道を歩く人が尊敬されて、軸足がぶれる人間はダメだと言われてきました。

 それはどうやら「この道一筋」の意味を履き違えているようです。ある職人さんが、地味な仕事を一生懸命に生涯続けている。あの職人さんは何とすごいことか……。これは「この道一筋」のとらえ方ではありません。本来の意味するところは、職人さんを讃えるものではなくて、「この道」を讃えるものなのです。「あんな地味な仕事を、よくも一生やっていられるなあ。あの仕事は地味に見えるけれど、きっと人間が一生をかけてやるだけの価値がある仕事なんだなあ」と。

 一生をかけて歩むべき「この道」。一生住み続けられる「この場所」。それは簡単に見つけられるものではありません。大自然に囲まれて、田舎でずっと暮らすのも現実的ではないでしょう。かといって都会でばかり生活していると、神経が疲れ切ってしまいます。ならばいくつかの「この道」を探せばいい。二足の草鞋を履くことで、また違う風景が見えてくるかもしれません。