このあとも式の座席表から引き出物から新居に関してまで、とにかくなにからなにまで文句の言い通しではあったが、相手側の温かい協力によってなんとか無事に式を挙げることができた。
ともあれ、結婚によって両親の戸籍から抜けたことでわたしは長い呪縛から少しでも逃げられたような気がしていた。かつて中学生時代に自らが口にした「心から安心できる場所がひとつ欲しい」
やっとそんな場所に逃げていけるんだと、このときは信じていた。
学校から戻ると
母の顔が変わっていた
母がわたしの結婚に対してあそこまで否定的な振る舞いをしたのには、きっと彼女なりのわけがあったのだろう。思えば昔から、彼女はわたしが成長するのをひどく嫌っていた。それはまるで娘の自我が目覚めるのを恐れているかのように。
ひとりではなにもできない子供の頃は、すべてを母親に頼らざるを得なかった。決断が必要なときにはいつも母におうかがいを立てていたが、そうすれば彼女の機嫌はよかった。
少し大きくなって、自分でなにかをやろうとすると必ず反対された。「バレエを習いたい」と言えば、「太ってるから似合わないよ」と鼻で笑われ、「絵を勉強したい」と打ち明けても、「そんなもんじゃ食べていけないよ」と片付けられた。
小学校高学年になりおしゃれに興味が出てきた頃、美容院で当時流行りの前髪の髪型にしてきた日、「あら、史絵ちゃん。似合うよ、可愛くなったねぇ」と近所のおばさんに褒められた。でも母は「こんなのおまえらしくないよ」とハサミを持ち出し、短くザクザクに切り直してしまった。
翌日、学校でわたしの姿を見た担任の先生からは、「どうしたんだ?その髪の毛は?」と心配されたがなにも答えられなかった。前髪が伸びるまでの数カ月、毎日学校へ行くのが本当に嫌でならなかった。
こんなふうに、わたしが成長して自分の世界を持つのを嫌って母はことごとく邪魔をした。
その証拠に、思春期には、「あんなに可愛く産んであげたのに、おまえは自我が芽生えてからどんどん醜くなっていくね」と毎日のように言われた。
本当ならば女の子が一番可愛らしく輝いて見える年齢のはずだけれど、娘のそんな姿が彼女の目には嫌悪としてしか映らなかった。だからわたしはおしゃれや可愛く見せるようなふるまいにはあえて興味のないふりをした。いつまでも太ったダサいブスな娘でいて、母にいい子だと思われたかった。