戦前の襲撃事件の連鎖が
社会に大きなひずみをもたらした
――「銀行王」と呼ばれた実業家で、当時の財閥トップであり安田財閥の創始者ですね。東大にある通称「安田講堂」は、安田氏の寄付で建設されました。
田原 1921年、社会の格差に苦しんだ31歳の青年・朝日平吾が、安田氏の別荘を襲撃し、殺害した。青年は当初、非難されたが、財閥の遺産相続が問題視されると、批判の矛先は財閥へ向けられ、青年は労働組合や支援者、メディアから英雄視された。
そして実はこの事件が、日本列島を大混乱に陥れる引き金となった。事件から37日後、当時の総理大臣の原敬が、東京駅で刺殺された。犯人は安田氏の襲撃事件に影響を受けたとされる。
さらにその後、1930年に、やはり総理大臣の浜口雄幸が東京駅で狙撃され、一時的に回復したものの、傷が悪化し、翌年亡くなった。1932年には、総理大臣・犬養毅が青年将校により射殺され(五・一五事件)、1936年には、当時の大蔵大臣で元総理大臣の高橋是清が青年将校に射殺されている(二・二六事件)。
五・一五事件や二・二六事件は、軍の一部の皇道派が引き起こしたものであり、クーデターの鎮圧で狂信的な皇道派は力を失ったが、軍の統制派の影響力が増し、結果的に、軍が国家権力を掌握することとなった。
言論表現の自由はなくなり、日本は軍が突き動かすまま、満州事変や日中戦争、そして太平洋戦争へと突入していく。盧溝橋事件の勃発時、当時の総理大臣、近衛文麿は「不拡大方針」を採り、日中戦争にも反対していたが、軍部に逆らうと五・一五事件のように殺されてしまうかもしれないので、追認するしかなかった。
今回の事件はこれとは状況が異なるが、襲撃事件が起きてその模倣犯が出てくることは、こうした過去の歴史を振り返ると、どうも心配になる。
今の世の中、社会に不満を抱えている人は大勢いる。絶望し、自殺する若者も多い。世の中を変えるのは大変だから、要人を殺せば、社会に爪痕を残せるのではないか、有名になれるのではないか、そう考えて犯行に及んでしまう。暴力が連鎖しそこからひずみが生まれるようなことは、事前に防がなければならない。
人は誰もが本心は誰かと話したい
共感してもらいたい
――政治不信、つまり、政治を通して社会を変えることがもはや難しいと感じている人が、絶望や無力感、あるいは自己顕示欲のはけ口として、ローンオフェンダーになってしまう。もちろん、格差の是正や社会を良くしていくことは大切ですが、ここまで社会が複雑化すると、その狭間で人知れず苦しんでいる人というのは大勢いるのではないかと思います。
田原 話し合える場があるといいのだろう。不満がある人は、その不満を聞いてもらったり、共感してもらったりすることで、気が晴れることがある。もちろん、その不満の根本解決に至らないかもしれない。でも、人は、不満を言いたい、共感を得たいという欲求がある。
例えば、新興宗教の信者が増えていく経緯を探ればそれがわかる。田舎から、東京や大阪、名古屋などへ出てくると、最初は誰でも不安でいっぱいだろう。職場での不満も、大企業なら労働組合が話を聞いてくれる。しかし、中小企業にはほとんどなかった。誘われて宗教の会合に顔を出してみると、温かく人が接してくれる。不安や不満を聞いてくれ、共感してくれる。何でも言える。そのような場が毎月あると、人々は救われた気持ちになる。
宗教というのは良しあしがあるが、いずれにせよ「話し合う」ということは実はとても大事なことだ。誰もが本心は誰かと話したい。欲求不満を持った人間のはけ口が、社会のどこかにないと、それが暴発してしまう。
――そのような、話し合う、不満を語り合うようなシステムは、これからの社会にますます必要になりそうですね。そのような場は、どこがつくるべきなのでしょうか?
田原 自治会などの地域でも行政でも、メディアでも、誰がつくってもいい。とにかく、何でも言える場所、何でも話し合える場所というのが大事だ。
――ネット上などはどうしても、自身の考えに近い意見や、関心の強い情報ばかりに触れてしまいますが、田原さんが司会を務める討論番組「朝まで生テレビ!」などを見ていると、最初は「おかしなことを言う人だな」と思っても、議論を聞いているうちに「そういう考え方もあるのか」と意識が変わってくることもあります。
田原 「朝生」や「クロスファイア」(BS朝日の『激論!クロスファイア』)では、意見や立場の異なる人たちがタブーなしで大議論をする。それを視聴者が見て考える。視聴者に考えてもらう番組にしたい、そのような思いがある。
――朝生のように、大人同士が本気で議論し、時には感情的に言い合うような場は、今はあまりないですよね。議論に参加していなくても、それを見て多様な意見に触れるということも大切な気がします。次回は、ぜひ「朝生」への思いや制作の舞台裏をお聞かせてください。