田園地帯に起こった意味のイノベーション

 それが大きく転換するタイミングがやって来ます。84年、トスカーナ州が産業廃棄物処理場の建設先としてオルチャ渓谷を候補としていることが、明るみに出たのが契機です。この地域の五つの自治体の首長が建設阻止の対策を話し合った結果、彼らの取った手段は州の方針への反対運動ではなく、オルチャ渓谷芸術的自然公園(以下、オルチャ渓谷公園)の設立でした。

 折しも、この80年代、農村地域の「その後」を大きく変える三つの動きがイタリアにありました。一つ目は85年の景観法(ガラッソ法)の制定です。都市以外の地域、田園・海浜・山岳の各地域の景観を重視する法律です。二つ目は85年のアグリツーリズモ法です。農家が民宿を経営できるようになり、農家が農産物以外で収入を得る選択肢ができました。三つ目が89年のスローフード宣言です。経済的な動機を重視し過ぎたことへの反省、おいしいものは長く食べ続けたいとの欲求といったことが、新しいライフスタイルへの変換を促します。この三つの動きがオルチャ渓谷公園設立の後押しとなり、80年代後半以降の「田園風景の意味」を大きく変えていく鍵になりました。

 92年、オルチャ渓谷の地域における農業団体は有機農業の実践を提案します。農作物や農産品の品質を上げる(地理的表示保護制度による認定につなげる)ことで、農家の経営レベルを上げ、さらに農村と都市の交流をつくる、アグリツーリズモをコアとした観光ビジネスをつくる、という全体の構図が描かれていったのです。

 96年、公園管理団体のオルチャ渓谷有限会社(現在はTerre di Siena LABに取り込まれている)が設立され、トスカーナ州の設定した「地域自然保護区」の条件を満たすこととなり、99年、「オルチャ渓谷公園」が認可されるに至りました。公園の対象地域には、五つの自治体の総面積の92%が含まれ、その63%が農業地域です。自然を守りながら営農活動や観光を通じてサポートする仕掛けが、この地域構成を支えるわけです。 

 そして2004年、オルチャ渓谷地域の文化的景観が評価され、ユネスコの世界(文化)遺産に登録されました。この世界遺産登録申請に当たって、21世紀の美はシエナ市庁舎のフレスコ画に描かれた姿を目指すべきだと提案されました。この世界遺産への登録によって、80年半ばから始まった田園地帯の意味のイノベーションに弾みがつきます。

地域の価値が一変したケースに見る「意味のイノベーション」の社会的活用オルチャ渓谷ピエンツァ ©植田暁