四つの象限から解くオルチャ渓谷の奇跡

 具体的な成果がさまざまな面に表れました。92年、この地域の宿泊施設は47軒。それが08年には353軒に増加しました。また前述のフレスコ画にも描かれているシエナ豚と呼ばれる黒豚は、60〜70年代、血統の登録も途絶えてほぼ忘れられた存在になっていましたが、スローフード運動の価値観と結び付き、取引価格が高騰することになります。シエナ豚を飼育することがステータス(トスカーナにいる友人が「シエナ豚を飼っている!」と自慢していたことを私も覚えています)となり、12年にはEUの原産地統制名称の認定を受けることになります。 

 本連載2回目に紹介したデザイン研究者のエツィオ・マンズィーニの著書『デザインせよ、あらゆる人がデザインする時だ(Design, When Everybody Designs)』(MITプレス 2015年 日本未翻訳)にある4象限のチャートを再掲します。オルチャ渓谷の例は社会的な意味のイノベーションです。

地域の価値が一変したケースに見る「意味のイノベーション」の社会的活用Ezio Manzini Design, When Everybody Designs
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 存在感をなくした地域に、産業廃棄物処理場が建設されると知った後の人々の対応は、マンズィーニの4象限の全てに関わっていることが分かります。農産品の質向上は象限②、ブランド向上は象限①に関わります。都市の人々との交流によってつくられる文化は象限④に当たり、この一連の活動を支える仕組みが象限③になります。これは、ある象限だけで意味のノベーションが前進することはあまりなく、一つの象限をきっかけに、他の象限との相互作用が頻繁に起こり始めることを表す最適な例といえます。

 そして、歴史の捉え方についても大いにヒントになります。意味のイノベーションは、長い時間の中で埋没した歴史的資産の再発見という性格を持つことがあります。オルチャ渓谷のケースでは、14世紀のフレスコ画にある世界観やシエナ豚がその対象です。地域や物事の評価というものは時代によって上下します。重要なことはその資産を何らかの形で可視化し、アーカイブしておくことです。そうすれば、評価が底のときにもさほど悲観的にならず、意味のイノベーションを戦略的に考えやすくなるわけです。物事を楽観的に考えられる状況を整えておくことが、意味のイノベーションを起こすのに有効な条件といえます。

 なお、オルチャ渓谷の上記の経緯は、22年9月に刊行された『トスカーナ・オルチャ渓谷のテリトーリオ 都市と田園の風景を読む』(植田曉/陣内秀信/マッテオ・ダリオ・パオルッチ/樋渡彩・編著 古小烏舎刊)に詳しいです。この本の内容を参考にして、本稿を書きました。同書には意味のイノベーションという表現は一切出てきません。しかし、地域の意味のイノベーションがまざまざと描かれています。さまざまな種類の本を、意味のイノベーションの観点から読んでみるのも面白いかもしれません。

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