靖国問題については、もともとこの連載でお話する予定になっておりましたが、ちょうど最近李纓監督の映画「靖国 YASUKUNI」が日本で話題になっていますので、今回取り上げようと思っていました。そうしましたところ、北京オリンピック絡みでチベット問題もクローズアップされてきましたので、さて、今回はこちらを書いたほうがいいのかしばらく迷っておりました。ところが、よくよく、考えてみますと、この2つの問題、ともに政治と宗教、政治と心の問題という意味で共通点があると思い、勇気を持って思い切って両方書いてみることにしました。
ともにタッチーな問題であり、どのようにまとめようか正直悩みました。靖国問題について、私は日本人が個人として参拝することに関して特に違和感はありませんが、日本の公職にある人がその公職の立場として参拝することには反対する立場ですので、下手な発言をして社会で物騒がしいことになってもいやなものです。
また、チベット問題は、今現在発生している、人の命がかかっていること。そして、ある国の少数民族の独立問題に絡むという意味で、よりタッチーな問題であると思います。私は、この問題は中国の民族、領土に関わる内政問題であり。外国の人が下手に干渉するべき問題ではないと考えております。
ただし、一方で、自分は心情的には仏教徒と思っておりますし(高田家は臨済宗の檀家ですが、私自身は別にどこかの宗派に属しているわけではありません)、また、私はダライ・ラマの著作の愛読者の一人でもあることから、この問題に関して自分なりにどのように気持ちの整理をつけるべきか悩ましい問題でもあります。
チベット以外にも
多くの人権問題を抱える中国
まず、よりタッチーなチベット問題からお話したいと思います。なぜこの問題がよりタッチーかと申しますと、それは靖国問題が主に過去をどう認識するかということに焦点が絞られるのに対し、チベット問題は現在の人間の権益と命に直接関わる問題であるからです。
今回のチベットにおける暴動(映像から見る限り)の直接的なきっかけがどこにあるのかは、いまひとつよく分からないのですが、世界での聖火リレー妨害の動きを見ると、報道されている通り「国境なき記者団」のような国際的な活動家の連携は確かにあるのでしょう。チベットの人権問題を唱える人にとって、北京五輪は世界にこの問題を訴える絶好のチャンスであることは間違いありません。