「まんだらけ」の意外すぎる名前の由来とは?“サブカルの聖地”の立役者の誕生秘話

「サブカルの聖地」とも言われる中野ブロードウェイ。その中心的存在が中古漫画などを販売する「まんだらけ」だ。「まんだらけ」はどのようにして、発展したのだろうか。本稿は、長谷川晶一著『中野ブロードウェイ物語』(亜紀書房)の一部を抜粋・編集したものです。

2坪家賃10万円から始まった
「まんだらけ」の躍進

 コラムニスト・泉麻人の作品に『新・東京23区物語』がある。初版は2001(平成13)年9月で、文字通り東京23区それぞれについて、彼独特の考察を述べた一冊である。「中野区」の稿では、かなりの紙幅を使って中野ブロードウェイについて言及しているが、その中に「ブロードウェイ、ポスト神保町への道」と題されたこんな一節がある。

ブロードウェイ、ポスト神保町への道

 昭和55年、ブロードウェイ内の僅か2坪の店からスタートした“趣味の漫画の店”まんだらけ――は、いわゆるオタク世代のハートをがっちり掴み、その後館内にアメーバーの如く、2号店、3号店……と増殖していきました。

「少年マガジン」や「少年サンデー」をはじめとする漫画の古雑誌がずらりと並び、マニアックなコミケ誌の類い、セル画や原画、関連のソノシートやレコード……鍵がかかったショーケースのなかには、数十万の値札を付けた手塚治虫の初期の作品などが陳列されています。筆者は一度、マニアがショーケースの鍵を開けてもらって20万だかの手塚治虫本をキャッシュで買っていくシーン、を目撃したことがあります。眺めているだけで胸がどくどくと高鳴りました。(原文ママ)

 1980(昭和55)年、中野ブロードウェイ2階に誕生した、わずか2坪ほどの小さな古書店。マンガだけに特化したこの店は名前を「まんだらけ」という。

 店主は古川益三(現・益蔵)。当時、30歳の若者だった。きっかけとなったのは、ある春の日の新聞の求人欄の二行広告。そこにはこんなフレーズが躍っていた。

家賃十万、保証金二百万
中野ブロードウェイ店舗 物販のみ

 当時、東京・調布市国領にて「憂都離夜(ゆとりや)」というマンガ専門の古書店を経営していた。駅からかなり離れた品川道沿い、約6坪の小さな店。決してアクセスはよくなかった。ほとんど人通りはなく、雨の日には1人も客が来ないこともあった。

 しかし、熱狂的なマニアたちはこの種の形態の店を求めていた。まだ「オタク」という言葉もなかった頃のことだ。やがて、熱心なマンガファンや不登校生のたまり場となり、当初は10万円、後に15万円となった家賃を払っても赤字になることはなかった。

(もっといい場所に出店すれば、結構、当たるかもしれない……)

 そんな思いが芽生え始めていた頃に、先に紹介した「二行広告」を見たのである。家賃10万ならどうにかなる。しかし、200万という大金は手元になかった。古川さんは言う。