ぼくが出版社をはじめたのは、三三歳のとき。出版社をやりたくて仕方がなかったとか、そのために準備をしていたとか、そういうことではありません。兄弟のように親しくしていた従兄が事故で亡くなり、それで、人生を変えなければいけなくなったのです。

 従兄はぼくより一歳年上で、室戸で生まれ、室戸でずっと暮らしていました。ほがらかで、優しい、誰からも愛される人でした。

 室戸に帰るということは、ぼくにとって、従兄と遊ぶということで、夏休みに二〇日間室戸にいたとしたら、眠っている時間以外はずっと、従兄と遊んでいました。

 児童文学者の石井桃子さんは、「子どもたちよ 子ども時代を しっかりと たのしんでください。おとなになってから 老人になってから あなたを支えてくれるのは 子ども時代の『あなた』です」という言葉を残していますが、ぼくが高知を好きで仕方がないのは、この従兄との思い出があるからです。

 高知の夏の日差しの強さ。木々の葉の青さ。川の冷たさ。子どものころの記憶を思い出すと、かたわらにはいつも従兄がいます。ベースボールキャップをかぶり、日に焼けた顔でにっこりと笑っています。

 その従兄が突然亡くなったとき、ぼくは自分までもが死んでしまったような気持ちになりました。

 悲しいというよりも、親しい人がこの世からいなくなり、そして二度と会えないという恐ろしさに、身動きがとれなくなってしまったような感じでした。

打ちのめされた心をつないだのは読書だった

 そのとき、ぼくは無職でした。毎日が苦しくて仕方ありませんでした。

 救ってくれたのは、一篇の詩です。

 ぼくの趣味は読書で、不安な日々のなかでも、毎日本を読んでいました。一冊の本を持ち、夜の静寂のなかで、だれかの話に耳を傾けるようにページをめくっていると、こころが落ち着きました。

 ぼくが出会った詩はこんなふうにはじまります。