自由に議論しているからこそ
クレームが来ない

田原 もともとテレビの深夜番組というのは、番組の再放送とかを流しているだけでした。そこに、フジテレビが「オールナイトフジ」の放映を開始し、とても話題になりました。それでテレビ朝日も深夜番組をやろう、ということになったんです。

 深夜でも見てもらえるよう刺激的な番組にしなくてはならない。とは言え、制作費も限られていて有名タレントを呼ぶことはできない。それで僕が呼ばれて、討論番組を始めることになりました。

鈴木 当時、ニュースステーション(※1985年放映開始、テレビ朝日系列の生放送の報道番組)が好調で、「報道・情報のテレビ朝日」ということで、1987年に朝生が立ち上がりました。

 司会の田原さん、朝生の立ち上げメンバーで、ずっと出演交渉を担当してきた制作会社の吉成英夫プロデューサー、放送作家の久利一さん、タイムキーパーの山内洋子さん、そして番組進行の渡辺宜嗣さん。この「朝生五人衆」は、放映開始から今もずっと変わらないメンバーですね。そしてテレビ朝日側の初代プロデューサーが大野弘義さん、その後、日下雄一さん(1947-2006年)が引き継ぎました。彼らが朝生の基盤を築きました。

――鈴木プロデューサーは、どのような経緯で、朝生のプロデューサーになったのでしょうか?

おふたり

鈴木 朝生が始まって間もなく、「ザ・スクープ」(※1989年にレギュラー番組となったテレビ朝日系列の報道番組)が立ち上がったんです。先ほどお話した日下さんがプロデューサーをしており、私はその下で働いていました。ですから、朝生とザ・スクープは兄弟番組のようなものだったんですね。隣で朝生が喧々諤々(かんかんがくがく)とやっているところを見ながら、報道番組をつくっていました。

 朝生の制作陣は、とにかく朝から晩までずっと全員で議論をしているんですよ。それがおもしろかった。私は横で田原さんを見ていて、その人となりを知ることができました。そうした関係もあって、日下さんが体調を崩されたとき、ピンチヒッターとして、代わりに朝生のプロデューサーを務めたこともありました。

 私はその後、いろいろな部署を経験したのですが、1995年にオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こした頃、ワイドショーでデスクでした。オウムの動向を追っていたのですが、オウムの信者は彼らが修行と称する活動に明け暮れていて、普段、全然眠らないんです。そのためこちらも24時間体制で取材を組まないといけませんでした。あまりの忙しさに心臓がバクバクしてどうしようもなくなり、このままでは参ってしまうと思い、どこでもいいから異動させてくださいと、会社に申し出ました。

 異動した先が、田原さんが司会進行を務めていた「サンデープロジェクト」(※1989年放映開始の生放送の討論番組)です。サンデープロジェクトの影響力はすさまじく、日曜日の生放送で田原さんが政治家を挑発して話を引き出したり、時には当時の総理大臣に直撃したりするので、月曜日の朝刊に「テレビ朝日の報道番組によると」とよく掲載されていました。すると、次の日の国会の審議が止まってしまうんです。それほど、飛ぶ鳥落とす勢いの番組でした。その番組に私は1997年に移ってきたんです。

 2001年にサンデープロジェクトのプロデューサーを務めることになり、約6年間担当しました。ですので、田原さんとは一緒にいろいろな取材をしました。開戦前夜のイラクへ行ったり、(元ゼネラル・エレクトリックCEOの)ジャック・ウェルチ氏(1935〜2020年)の別荘へ行ったり。番組の放映は日曜日の午前なので、いろいろな人が見ていて、風圧もさまざまありました。それだけ多くの人に見てもらえたということで、ありがたいことではありましたが、私はいつもヘトヘトでした。

 その後、2013年の異動で朝生に来てみると、不思議なことにクレームも来ないですし、大きな問題も起こらないんです。なぜかというと、設定したテーマに対して、想定し得るさまざまな立場の人が出演するので、賛成派からも反対派からもクレームが来ないんです。

 もちろん、「Aさんの意見は良かったけれど、Bさんは良くなかった」といった感想は来ます。出演者が事実と異なったことを発言したときは指摘はありますし、田原さんが怒りすぎてそれに対してネットで炎上することもあります。でもそれ以外で大きなトラブルに発展することはこれまでないんですよ。

田原 僕がテーブルをたたいたり、長時間話し込んだりすると、よく鈴木さんに怒られます。

鈴木 そうですね、畏れ多いですが、「机はたたかないでくださいね」と(笑)。

 普通、ニュース番組は、そのとき動いているニュースを、短い時間の中で伝えないといけません。賛成派と反対派にの意見を丁寧に紹介するということが難しいんです。朝生は月に1度ということもありますし、サンデープロジェクトのときに私も田原さんもいろいろと学んだということもあり、朝生では双方の立場の人たちに3時間、自由に皆さんが議論できる枠組みをつくろうと。

――朝生の毎回のテーマはどのように決めているのですか?