「人生は選択の連続である」と言う人がいるが、本当にそうだろうか。人生は「選ばれないこと」の連続ではないか。この春、「選ばれなかった」ことをテーマにした書籍『あの日、選ばれなかった君へ 新しい自分に生まれ変わるための7枚のメモ』(阿部広太郎)が刊行され、話題になっている。
著者であるコピーライターの阿部広太郎氏が、兄のように慕う先輩である出版社「ひろのぶと株式会社」の田中泰延氏と熱くおもしろいトークを繰り広げた。5月2日に東京・下北沢のB&Bで行われたトークイベントから、一部を再構成してお届けする。
「会社の評価」と「社会の評価」
阿部広太郎(以下、阿部) 質問タイムとして、僕やひろのぶさんに聞いてみたい方がおりましたら、ぜひお願いします。
質問者1 ちょっと伺いたくて、私が今10年勤めている会社の中で、私自身に対する会社の評価が、自分の頑張りというより、その時の波によって変わっていると思ったことがあったんですね。阿部さんに聞きたいのは、会社の自分に対する評価に対してどう感じるかと、それは自分自身の自分に対する評価に影響があるのかということです。田中さんには、会社員の時もあって、それから会社を起こされて、会社の評価と社会の評価の違いがあったのか、自分の感じ方が変わったりとかもありましたか?
阿部 ズレがあるともモヤモヤしますよね。僕は、「会社の評価」と「社会の評価」で分けて考えてるところがあって。会社には波がある気がして、評価されやすいタイミングで、自分がその波に乗れていた時、一方で自分は頑張ったけど、会社の波と自分が離れていて評価されないと感じる時もありました。自分が自分を評価してる部分と、会社の評価が必ずしも一致しているわけじゃなかったりもしていて。
では「社会の評価」は何かというと、身近にいる人や、近くにいる人、信頼している人が「いいね」とか「よかったよ」とか言ってくれること、それを見るようにしていて、自分の心を安定させる上ではちゃんと大事に持っています。個人的な話ですが、今回、本を書いて、やっぱり売れたら嬉しいし、広まってほしいと思っているんですけど、妻に読んでもらった時に、「文章うまくなってるね」って言ってもらえたんですよ(笑)。
田中泰延(以下、田中) 4冊出して(笑)。
阿部 それがすごくうれしかったというか、「俺、文章うまくなってるんだ!」と思えて。近くで見てくれている人が言ってくれたことが、実はすごく自分を支えてくれているなと思うので大切にしています。
田中 ご質問の、「会社の評価」と「社会の評価」がどう違うか。これはもうまったく逆で、まず文字が逆になってますよね。ここが重要な点です(笑)。会社にいた時は、僕も評価を散々に悪く付けられた時もいっぱいあるんですよ。でも、これは限られた企業の中での評価で、限定的な意味合いの評価を受けているから、「俺の本質的な価値には関係なかろう!」って思えるところもあったんです。
ところが自分で会社をやり、人様からお金を預かり、出版社だから人様から原稿を預かり、それを出して、従業員に給料を払う。いまは社会と全面対決している気分になっているんですよ。全人格がかかっているような気がするのね。
だから、もしこれがコケたりあかんかったりしたら、すべてを否定されて逃げ場がないというような気持ちでやっているから、会社の経営者という立場になった時には、売上や世間の評判だったり、比べものにならない評価の恐ろしさを感じていますね。
…ていうふうに、僕は今、大袈裟に考えているんだけど、たくさん会社を経営していたり、何度か会社を倒産させてもまたがんばって新しい会社を立ち上げた人に聞くと、「ぜんぜんそんなことないよ!」って。だから、人生それぞれにステージがあるねん。俺は今、必死のパッチ。でも、それをたくさんやっている人からしたら、どうってことないかもしれないですね。
質問者1 落ち着かないなと思っていたんですけれども、あたたかい気持ちになりました。ありがとうございます。
質問者2 今日は仕事をほっぽらかして、お2人を選んで来ました。
田中 選ばれた!
阿部 ありがとうございます!
質問者2 質問なんですけども、今回の本は選ばれなかったことをプラスにして、穏やかに過ごしましょう、自分を評価していきましょうということだと思うんですけど、お2人が「これは俺がやっぱりいいなと思って選ばれたんだ」ということがきっとあると思うんです。選ばれなかったじゃなくて、自分が選ばれて、これはやったんだっていう、自慢になりそうなことがあったら、ちょっとお聞きしたいなと思いました。
阿部 いや…すぐに思いつかないですね。「企画でメシを食っていく」という連続講座をやっていて、「ここに通えてすごく自分の人生が良い方向に変わりました」なんて言ってもらえることが、自分にとってすごく誇らしいことだなと思ってます。でも、それは自分で選んで、自分で立ち上げて、自分でやっていることで、選ばれてってことじゃないなと…。「選ばれて、これやったぞ!」みたいなのはないないですね。いかにこのチームの人たちに喜んでもらえるか、みたいなことは考えはするんですけど、ひろのぶさんはありますか?
田中 もう阿部さんとまったく同じで、仕事で選ばれなかった思い出で努力したのはいっぱいあるけど、「あれで選ばれて今の俺がある。イエーイ」っていうのは何もないよ。
阿部さんも言ってたけど、「どう貢献するかを考える」というのは、本当にそう思うので。つまり、はっきり勝ち負けのあるコンペでチームで勝ったとしても、「何かの役割で貢献できたな」と思うのであって、自分が勝利感に酔えるわけじゃないんですよね。勝った・負けたで言うと、「負けた」ってはっきり認識してもいいけど、「勝った」と思う必要はないんじゃないかな。
最近の僕の例で言うと、うちは弱小出版社……ここにもたくさん本がありますよね。うちも「本を作って売る」というところに参入したわけですよ。でも、もちろん大手の出版社さんもいっぱいあって。数ヶ月前に、ある著者さんが「大手の出版社さんで出すか、ひろのぶとさんで出すか迷っています。正直、大手さんからもお声がかかっていますが、僕のこの原稿はお宅で出したいという気持ちもあります。ちょっと考えさせてください」と言われて、数ヶ月待って。
ほんの昨日、「お宅で出すことに決めました」と。「大手じゃなくていいんですか? 大手はいっぱい印刷して、新聞広告を出して、書いたやつが映画化されるかもしれませんよ?」って聞いたら、「いや、ひろのぶさんのところでやりたいんです」って言ってくれた。これはうれしかったかな。これから作るから、まだ偉そうなことは言えないんだけど、ちょっとうれしいかな。いい話しちゃったな(笑)。
質問者2 ここにいる方はそうだと思うんですけど、阿部さんの本を選んで、阿部さんに会いたくてきたと思うんで、実はそれが意外でした。
阿部 ありがとうございます。「本を書く」ということは山あり谷ありで本当に大変で、その中で出会いが生まれるのが一番の喜びなんですよね。ひたすら文章を書いてきた結果、こういうふうに新しく出会えたり、再開できたりするのが、自分にとっての最大のモチベーションです。
田中 そうね。いろんな試験やコンペティションの仕組みの中で、勝った・負けた、選ばれた・選ばれなかったというのはあるけれども、結局僕らは、努力して負けても勝っても、最後に手に入れることって「出会い」なんですよね。いい話をしちゃったな(笑)。