幸福大国の国民の不思議

 心地よい空間を作るのが上手なデンマーク人。基本的にいつも落ち着いているのですが、そんな彼らでも普段からとても気にしていることがあります。そこに気づいたのは、日常会話の些細なことからでした。

 始めにおかしいなと思ったのは、彼らを褒めたときです。通常の会話で日本なら友達を褒めることはよくあることでしょう。アメリカに留学していたときは、自信を持っている人が多いので褒めると、とても嬉しそうにどうして上手くいったのか話してくれます。

 ただし、デンマークではまったく違いました。先日、デンマーク人のチームメイトがリーダーシップをとって、チーム構築を行う上で大事なことを話し合う機会を作ってくれました。そこで学校が終わってから「素晴らしいリーダーシップだったね!」と声をかけたのですが、そんなに嬉しそうな顔もせずに「ありがとう」、の一言だけで会話が終わってしまったのです。

 たまたまかと思っていたら、別の人とも同じようなことが起きました。それはまるで、褒めたら会話が途切れてしまうような不思議な感覚でした。一度疑われているのかと思い、「I mean it!(本当よ!)」と言ってもその思いがなかなか通じません。

 また、こんなこともありました。あるときクリエイティブリーダーシップの授業を受けていたときのことです。「最高の自分を目指しなさい」と講師が言った途端、多くのデンマーク人の手があがりました。

 ある女性は、「最高という言葉は、勝者と敗者を作ってしまうので問題ではないかと思う」、と言います。驚くほど過敏に反応するので、授業が終わって別のデンマーク人に聞いてみると、「ベストという言葉は好きじゃない。ストレスだもの。十分という言葉が好き。最高にはなりたくない」と言うのです。

 日本では、「最高」という言葉は日常的によく使う言葉です。「最高を目指しなさい」と言われても、ある程度聞き慣れているので、過敏に反応する人はあまりいないでしょう。特に学歴社会だと、最高を目指すことが幸せにつながると考える人も多いと思います。

 デンマーク人の不思議な行動には違和感を感じていました。ある日、仲の良いノルウェー人の友人が「最近どう?」と学校で話しかけてくれたので、思い切って気になることを打ち明けました。すると、彼があることを教えてくれたのです。