<その1>
「一般人」からすると、意味不明なマスコミの「不文律」に言及
ジュン氏の会見では、マスコミへの批判が何度かに分けて語られているが、特に注目したいのは、芸能人の夫となってから扱われ方が変わったという点だろう。
結婚前からアーティストとして活躍していたジュン氏は、当時からファッション誌やカルチャー誌で取り上げられてきていて、「当時の取材は、写真の確認ですとか、原稿の確認などなどが当たり前にあるように行われておりました」と語る。
しかし、広末さんと結婚してからは、「家を出てもどこに行っても多くのメディアの方たちがいきなりカメラを向けてこられて、何もしゃべらなくてもあることないこと書かれ、メディアの方たちと自分の関係が大きく変わることになりました」と続けた。
マスコミの理屈からすると、芸能人は半ば公人であり、人気商売なのだから多少のプライベートが報道されるのは仕方のないことだし、それは市民の「知る権利」に沿ったものだということになる。
芸能人が所属する事務所の側でもマスコミを使って宣伝・PRを行うこともあるし、関係性によっては芸能人に都合の良い記事を出させることもある。だから持ちつ持たれつの関係だ……とも考えられている。
しかし、ジュン氏が指摘したように、そこに巻き込まれる「一般人」はたまったものではない。
たまに一般人と結婚した芸能人が「お相手は一般の方なのでそっとしてください」といったコメントを出すことがあるが、ジュン氏の場合、それまでに少なからずメディア露出があったために、なし崩し的にさらされることになってしまった。
さらにこう指摘する。
「同じ会社じゃないですか。同じ新聞社じゃないですか。これは芸能系じゃないから関係ないって言うんですか。カルチャー紙もファッション紙も、同じ会社に芸能人のことをいろいろ書く部署ありませんか。同じ会社じゃないですか。もう1回考えてみてください」
ジュン氏が指摘したいのは、同じ出版社が制作している雑誌でも、ジャンルによって取材のマナーがまったく異なり、芸能ゴシップ誌やワイドショーでは急に非人間的な扱われ方をされるということだろう。それをなぜ、同じ会社の人間が見過ごすことができるのかという指摘だ。
これまで「そういうものだから」と、やり過ごされてきた業界の内輪ルールを、はっきり批判したのだ。
芸能ゴシップを後押しするものは、「需要があるから」という言い分である。ネット上では今回やこれまでの不倫報道に対して「芸能人であってもプライベートを詮索しすぎるのは良くない」「もう、放っておいてあげてほしい」という声も高まっているが、それでも部数の売り上げやPVのかたちで「需要」が見えてしまう。