需要があった神戸~鳴門ルート
なぜ瀬戸大橋に先を越された?

 一方で、神戸~鳴門ルートと優先度を競うライバルの瀬戸大橋は、大平正芳首相(香川県選出・在任中の80年に急死)の下で建設が進み、本州・四国を結ぶ3ルートの「一番乗り」で88年に開通を果たす。鉄道部は新幹線としての開業こそかなわなかったものの、在来線の「JR瀬戸大橋線」として開業。今も数々の特急・快速列車が走行し、1日約600万人に利用されている。

 他方、明石海峡大橋に鉄道を建設すると、線路部に相当な“たわみ”が発生するなど、技術的・予算的な問題が次々と判明。当初は新幹線の本命扱いであった神戸~鳴門ルートは、明石海峡大橋が鉄道橋としての建設を断念したことから、新幹線ルートとしての候補から脱落。ただ、道路単独橋としての建設も困難を極め、95年の阪神・淡路大震災も重なり、開通は98年までずれ込んだ。

 2ルートの誘致合戦で差がついてしまった一番の原因は、とどのつまり、大鳴門橋を先に造ってみたものの、明石海峡大橋に鉄道を通すのが困難なことが後から徐々に分かってきたからだ。

 しかしこの誘致合戦は、香川県(瀬戸大橋サイド)と徳島県(神戸~鳴門サイド)の政争でもあり、香川県は、55年の紫雲丸事故(168人が死亡した海難事故)がきっかけで、全県を挙げて(与野党問わず)瀬戸大橋の建設を熱望していた。本四架橋構想が国を挙げて瀬戸大橋に傾いていく過程は、両県の熱量の差、そして「大平首相(現在も岸田文雄首相を輩出する大派閥・宏池会の出身)と三木首相(小派閥・三木派のリーダー)の力の差」だと指摘する声もあった。

 さて、本題の大鳴門橋に戻ろう。ここに新幹線が通る見込みは、もうないのだろうか。

 四国新幹線の構想では、大阪府内~徳島県内ルートと、岡山県内~香川県内ルートの2つが検討されてきた。大阪府内~徳島県内ルートは、紀淡海峡(和歌山県と淡路島の間の海峡)と大鳴門橋を経由するが、新幹線の建設が実現したとしても、先に述べた通り大鳴門橋がコストを削った構造であるために、鉄骨の追加などで莫大な投資が必要となる。

 そうした中、今年6月に新たな動きがあった。徳島県が方針転換したため、四国4県がまとまって岡山県内~香川県内ルートでの実現を国に求めていく考えを示した。

 これもあって、神戸~鳴門ルートに、当初の構想通りに新幹線が走る可能性はほぼゼロ、紀淡海峡経由で大鳴門橋に新幹線が走る可能性も相当に薄い、と言ってよさそうだ。