父が亡くなって
わたしは絶望した

 なんというか、こんなセリフを吐く大人になりたかねえなあ、と思っていたのだが。これ以外の言葉が思い浮かばない。

「こんな若いもんがいてくれるなら、日本の未来には希望があるなあ」

 事あるごとに、拍手をくれる。うなずいてくれる。
 メモをとる手をひっきりなく走らせてくれる。
 質問の手もあがる、あがる。

 絵が得意な学生さんは、グラフィックレコーディングなる図を即興で描いてくれた。すごい。

 いること、いらんことを、おしゃべりクッキングしながら「ああ、わたしって本当はこう思ってたんだな」と再確認できた。とても楽しく、優しく、特別な時間になった。

 講義が終わったあと、アンケートに書かれていた質問に、ここで答えようと思う。

「友人が家族を亡くし、ふさぎ込みがちになった。元気になってほしいけど、なんと声をかければいいかわからない」

 人生には、解決策がある苦しさと、解決策がない苦しさがあると思う。解決策がない苦しさは、ときに絶望といわれる。例えば、大切な人やペットの死など、代わりのきかないものを失ったとき。

 わたしは父が亡くなったとき、母が集中治療室にいたとき、それはそれは絶望した。

「神様は超えられない試練を与えないよ」
「お姉ちゃんなんだから気をしっかり持って」
「応援するよ」とたくさんの応援の言葉をもらった。

 でも、どんなに優しい言葉も、素直に受けとれなかった。

「そんなこといったって、あなたの家族は死んでないじゃん」
「あなたとわたしは違う」
「わたしのつらさなんか、どうせだれにもわからない」

 本当につらいとき、わたしは、他人の言葉に耳を傾ける余裕がなかった。