アナン国連事務総長の選択
――ESG投資をめぐる議論の混乱を避けるべく、本書では序章で、9つの重要なポイントを示されています。すなわち、(1)ESG投資は主流となった、(2)ESG投資の最初の提唱者、(3)ESG投資が定義できていないことの問題、(4)ESG投資の定義、(5)ESG投資の領域、(6)ESG投資のデータ問題、(7)ESG投資は高リターンなのか、(8)企業行動の変容、(9)SDGs(持続可能な開発問題)との違い、です。
(4)の「ESG投資の定義」がまず重要で、第1章に書きました。それは、「これまで企業価値に十分織り込まれていなかった環境E、社会S、ガバナンスG等の非財務ファクターの重要性の増大を鑑み、投資家が長期的視点をもって、ESG等の非財務ファクターを(法改正の予想・新規事業機会等を含め)投資判断に織り込み、リスクをマネージしつつリターン向上をめざす投資。加えて株主としてのエンゲージメントを通じ企業の経営判断に影響を与えることで、企業価値を向上させることもめざす」というものです。
――さらに、「社会課題の解決は、ESG投資においては主目的ではなく、あくまで副産物である、というのが本書の主張である」と書かれています。これが、世界の機関投資家のコンセンサスと考えて良いのでしょうか。
多くの機関投資家のコンセンサスです。欧州などでは、社会課題の解決についてもっと比重を多くすることを特徴とする資産運用会社もありますが、世界の主要な機関投資家はこの定義で納得すると思います。
――定義の根拠の一つが、前述の(2)ESG投資の最初の提唱者、コフィー・アナン国連事務総長(当時)が社会課題解決のために民間投資家の活用を金融機関に促した2004年の報告書“Who Cares Wins”。そこで初めてESGという言葉が使われ、その時の経緯を本田さんは当事者にインタビューして確認したと本書では著しています。
増大する社会課題の解決には公的資金だけでは十分でなく、民間資金の活用が有効だとアナン総長と彼のチームは考えました。民間活用には2つのオプションがありました。一つは、社会問題解決の具体的な行動を金融機関や投資家に直接的に求めること。もう一つは、彼らに主要な社会課題を理解してもらい、それを投資判断に生かすことで間接的にその企業経営へのインパクトを考えるような投資を促すこと、です。
投資家との議論の末、前者のオプションのように、投資リターンを下げてでも社会問題の解決を迫るということは大手投資家には(当時は)到底受け入れられるものではないことを、アナン総長のチームは理解し、後者の間接的なオプションを採ったのです。
ただし、前者のオプションを支持する人たちも多くいた。また、議論に上がった多くの課題を取り込む必要があり、E(環境)、S(社会)、G(ガバナンス)と大くくりにすることになったようです。経済学などの観点から見て、これらを一つにして論じるのはおかしいという意見も多いのですが、1カ国1票の多数決で決まる国連のような場で、なんとか形にまとめるには、こうした曖昧な形が残るのは仕方がないのかもしれません。7年間、そうした場で勤務してきた私の経験からすると、わかります。
そうした多種多様な意見が入り混じっていることの象徴ともいえるのが、ESG投資の他にサステナブル投資やリスポンシブル投資などの言葉が共存し、企業のESG情報開示基準においてもサステナビリティデータなどの用語が使われているといったことがあります。定義だけでなく、用語も多種多様なのです。今回、本書を書くに当たって、多くの国連関係者や金融界の方々にインタビューさせていただき、複雑な事情が見えてきました。