企業価値を高めるファクターかどうか
投資家が判断できる情報開示が必要

――ESG投資としてダブルマテリアリティを目指す方向性はないですか。

 私も、長期的には社会課題の解決には大きなビジネスチャンスがあると思います。社会的な善行という意義だけでなく、多くの人が困っているのだからビジネスとしても潜在需要は膨大です。一方、短期的な困り事に基づくチャンスの多くは、すでにビジネスに取り込まれていて大きなリターンは生みにくくなっているはずです。それが市場の原理です。

 また、現時点でのリスク対比リターンの観点で重視されるのは、仮に発生したら損害が大きいダウンサイズリスクを減らすというものが主です。ダウンサイズリスクが顕在化しているファクターについては真剣に取り組まなければいけません。日本でも台風等の影響で河川の氾濫による水害リスクが大きくなり、火災保険に付帯する水災保険の保険料率が改定され、地域差が付けられるようになりました。損害保険業界だけでなく、不動産やローン業界にも影響があるでしょう。

 気候変動は、以前であれば長期的な社会課題と思われていたかもしれませんが、今やそうではありません。こうした顕在化するリスクへの対応は、ビジネスチャンスともなり、マテリアリティは変わっていきます。

――ESGデータの開示原則におけるサステナビリティ基準として今年6月、前述のIFRS財団の傘下のISSB(国際サステナビリティ基準審議会)が最終版を発表しました。日本ではそれをベースにサステナビリティ基準委員会(SSBJ)が日本版を策定し、24年3月までに公開草案を公表することになっています(図表参照)。

 今年(2023年)3月以降に発行する有価証券報告書には、人的資本・多様性に関する情報の開示が義務化されましたが、2年後には、開示すべき情報はさらに増えます。作業量は膨大ですから、残された時間はわずかと考えるべきです。上場企業は準備を急がないといけません。

 人的資本・多様性に関する情報開示を例に挙げれば、その施策による企業価値への影響は国ごと・企業ごとに大きく異なります。日本は少子高齢化が急激に進んでいます。ビジネスのあり方は時事刻々変化していて、その中で求められるリーダーの能力も激変しています。これまでと同じように一定年齢以上の日本人男性からリーダーを多く選出するようでは、企業価値を持続的に高められるとは到底思えません。従業員の外国人比率も、企業によって差があります。そうした状況に対する施策の優劣を、投資家が判断できる情報の開示が企業には求められているのです。

 ルールに合致した開示は最低限の義務です。企業は、ESG等非財務ファクターが自社の企業価値に及ぼす影響を熟慮して、価値を高める経営を行い、それを投資家にきちんと伝える情報・データの開示を行うことが求められています。投資家との対話によって、真っ当な評価を得て、企業価値を高めることは、こうした世界の変化の中で、経営者にとってますます大きな責務になっています。(了)

本田 桂子(ほんだ けいこ)

コロンビア大学国際公共政策大学院客員教授。お茶の水女子大学卒業。ペンシルベニア大学経営学大学院(ウォートン・スクール)修士課程修了(MBA)。マッキンゼー・アンド・カンパニーのシニア・パートナーとして、企業戦略M&Aや提携などに関する助言を24年にわたり行う。2013年MIGA(多数国間投資保証機関)長官に就任し、14~19年同長官CEOを務め、20年から現職。三菱UFJフィナンシャル・グループ取締役・監査委員、AGC(旧 旭硝子)取締役・指名委員会委員長、リクルートホールディングス取締役、国連投資委員会委員も務める。著書・訳書に『マッキンゼー合従連衡経営』(横山禎徳氏と共著)、『企業価値経営』(鈴木一功氏と共著・訳)。