9月1日、経済産業省が推進する「DX認定事業者」に認定された、飲料大手のダイドーグループホールディングス。前編では、代表取締役社長の高松富也さん※にインタビュー。強い危機感を抱きグループ約100拠点を行脚するなど、社長自ら動いた組織改革の10年を聞いた。後編は、同社のDX部門「ビジネスイノベーショングループ」に抜擢された竹重美咲さんをはじめ、全社総力戦で挑むDXの現場に迫る。
「データで何が分かる」
現場に飛び出したデータアナリスト
竹重美咲さんは、2015年、データアナリストとしてダイドーに入社。できたてほやほやのデータ分析チームに加わった。入社早々着手したのは、自販機で扱う商品の最適化やルートセールスの効率化だった。前編で紹介したスマートオペレーションの前身だが、当時のダイドーは、高松さんの100拠点行脚が始まったばかり。データを生かす土壌など、ないに等しかった。
「現場にデータ分析の結果を伝えても、なかなか理解してもらえませんでした。『データで何が分かる』と言われてしまったこともありましたね。役に立てている、という手応えはありませんでした」
8年後の今、ダイドーはIoTを駆使して販売実績や在庫状況をリアルタイムに把握し、ルートセールスの生産性を20~30%向上させているわけだが、どうやってデータ活用を社内に浸透させていったのだろうか。
竹重さんは、各営業所に「データを使ったテストマーケティングをさせてください」とお願いして回り、理解してもらえた営業所から小さく始めたという。自販機の補充作業にも同行し、データだけでは見えてこない現場の苦労を目の当たりにした。地道だが、竹重さんは「それが良かった」と振り返る。
「当時の私は、現場のことを何も分かっていませんでした。自販機の補充は、とてもしんどかったです。素人の私が手を出すと逆に迷惑をかけてしまうから、自販機の拭き掃除がやっと。でも、データを使って何を解決すべきか解像度が高まりました。今も営業現場の方々とお話ししたり、営業現場に行くのがすごく楽しいです」
「IT部門ではない人を入れたほうがいい」
成否を分けたDX部門の人選
2022年には、ダイドーのDXを担うビジネスイノベーショングループが新設された。伴走者で、元日清食品ホールディングスCIOの喜多羅滋夫さんは、IT部門ではない人を入れるよう高松さんに進言したという。
「DXは、デジタルを使ったビジネス変革です。一般に、IT部門はシステムには詳しくても、事業戦略を考えたり、発信したりするのには慣れていない。下手なわけです。事業で成果を出すために、デジタルを活用する――この優先順位で真剣に取り組める事業サイドの人間が必要でした」
かくして、竹重さんと広告・宣伝担当の堀井昇平さんが抜擢されたわけだ。喜多羅さんは二人を見た瞬間、「これは勝ちゲームや」と確信した。
「二人がすごく前向きだったんです。『教えてください』ではなく、『こうしたらいいんじゃないか』と既にプランも持っていた。さすが、高松さんが選んだ人たちだと。よく分かっていない経営者の場合、暇な人やパフォーマンスを出せていない人を回そうとするわけです。そうではなく、確実にインパクトを出せる二人を抜擢してくれたのが、間違いなく今につながっています」
一社員は今期の売り上げ達成が目標だが
DXは会社の未来をどう良くしていくかがミッション
幸先の良い船出かに見えたが、竹重さんは不安を抱えていた。
「DXとは何か、私自身が曖昧なまま、ああしたらいいかも、こうしたらいいかもと堂々巡りしていました。変革にはビジョンを示さなければなりません。こちらが勝手に描いても、理解されなければ誰もついてこない。私たちの第一歩をどう踏み出すか、すごく悩んでいました」
竹重さんは、経営陣との対話から始めた。大切なのはDXが何たるかではなく、自分たちが解決すべき事業課題を明らかにすることだ。かつて同じように悩んだ喜多羅さんからのアドバイスだった。
1年後の今、竹重さんは自分自身にも変化を感じているという。
「以前は、一社員として今期の売り上げ達成を目指して仕事をしていました。でも、DXは会社の未来をどう良くしていくかがミッション。中長期的な視点で考えるようになりましたし、目標は上から降ってくるものではなく、自分で見つけるものだという認識に変わりました」
まだまだ続く暗中模索。伴走者の存在は大きい。
「喜多羅さんには壁打ち相手になってもらっています。喜多羅さんと話していると、私たちはこんなスピード感でいいのか、他にもやり方があるんじゃないかと疑問が湧いてきます。疑問は改善の種。すごく大事なことだと思っています」
「Howの回転数が半端ない」
伴走者が明かす、ダイドーDXの成功要因とは
喜多羅さんは、「即断即決・即行動がダイドーの強み」と語る。ゴールデンサークル理論の「Why(課題を解決する目的)」「How(解決するための戦略)」「What(解決するための手段)」に当てはめると、ダイドーは「Howの回転数が半端ない」という。
「ダイドーの場合、DXのWhy(目的)は事業成長と明確です。その上でこの1年、幹となるWhat(手段)を育ててきました。ここからは、Howの回転数が効いてきます。週1回の壁打ちで出た案をどんどん試して改善し、うまくいかなかったらすぐやめる。このチームのすごさは、このスピードです」
回転数に加え、回転の輪を広げるには、堀井さんの発信が不可欠だという。
「社員向けのサイトに高松さんと私の対談動画がアップされているのですが、堀井さんはこうしたコンテンツを企画してiPhoneで撮影し、いいタイトルとBGMを付けてすぐ上げてしまうんです。これはITに詳しいだけの人が集まったチームでは絶対にできない仕事。発信が大事だと頭では分かっていても、忙しいと後回しにするのが”普通”です」
DX担当者だけが頑張ってもキャズムは超えられない
デジタルの民主化とは「どう総力戦に持ち込むか」
伴走者として、喜多羅さんにはいくつか意識していることがある。その一つが、どう総力戦に持ち込むかだ。
「DX担当者だけが声高に叫び、他の社員は無関心。キャズムを超えられないDXにありがちな光景です。DXは総力戦で戦ったほうが強い。だからこそ、各部門からDXエバンジェリストを選出し、それぞれの部門が業務効率化を推進することで大きなうねりを作っています。デジタルの民主化とは、いろんな人が、いろんな形で、このうねりに参加できるようになることです」
中には、うまく波に乗れない部門もある。竹重さんは、経営会議などで成功している部門の事例を発表するようにした。期待通り、触発されて動き出す部門が増えたという。
社員に「ChatGPTを使いたい」と相談されたらどう答える?
イノベーションと向き合う、いい練習問題
社内は確実に変わり始めている。一例が、ChatGPTだ。
「ある支社長から『竹重さん、ChatGPTを使いたいねんけど、ええかな?』と電話がかかってきたんです」
このエピソードから読み取れるのは三つ。一つは、話題の技術が業務にどう役立つかおのおのが考えていること。二つ目は、こんなとき誰に相談したらいいか窓口が明確化されていること。三つ目は、思いつきレベルでも気軽に相談できることだ。
結果、最初の電話からわずか2~3カ月 で、Azure OpenAI ServiceとMicrosoft Power Platformを活用した対話型生成AI「D-Brain」を開発。2023年7月には、関心の高い社員を中心に実証実験をスタートした。先行して法人利用を開始した日清食品からのアドバイスや、普段から情報交換をしているライオンの事例もプロジェクトを加速させる起爆剤になったという。
「ふと思ったんです。ChatGPTは、一つのイノベーションに対する私たちの向き合い方を問うているんじゃないかって。ChatGPTを業務利用するには、技術的なことから活用推進に至るまで、多くの課題に直面します。このタイミングでChatGPTが登場したことは、それらを一つ一つ自分たちの力でクリアしていくための練習問題。そう捉えるようになりました」(竹重さん)
現在は、社内のMicrosoft TeamsにD-Brain専用チャンネルを設置し、活用法やおすすめのプロンプトを共有している。これがやがて、さらに多くのHowを回していくための原動力となるはずだ。
当事者だから真の課題に迫れる
各部門にDXエバンジェリストが必要な理由
ダイドーのDXに欠かせない、各部門のDXエバンジェリストにも聞いてみよう。マーケティング部のDXエバンジェリスト・日野祐子さんは、同僚に対して「何か課題はありませんか?」とは聞かないようにしているという。
「課題って、無意識にやっている業務の中に潜んでいることが多いんです。各部門にDXエバンジェリストがいる理由もそこにあると思います。一番の課題は、当事者でないと気づけないくらい業務の根幹に近いところにあるのです。私の場合、自分が関わるマーケティング業務で何か問題が発生した際に、『これってアプリで解決できませんかね』と、自分の手の届く範囲で改善を進めています」
人事総務部の早稲田拳さんは、AIの活用推進に力を入れている。自身もD-Brainに研修のたたき案を作ってもらったり、企画の壁打ち相手になってもらったりと共同作業が増えているという。
「アンテナを立て続けていないと取り残される」と早稲田さん。「ここ数カ月でいろんな生成AIを試し、初めてシンギュラリティーを意識しました。人間が知識を蓄えている間に、ネットには新しい情報があふれ、AIが自動で分かりやすくまとめてくれる。そんな時代に、本当に価値あるものって何だろう。新たな挑戦に躊躇(ちゅうちょ)したり、ずるずる検討したりしているうちに全く新しい技術が登場し、いざ使い始める頃には周回遅れになっている。こんなことになったら非常にマズいと思うんです」
AIが急速に進化する世界で、生身の人間はどうあるべきか。これも、人事総務部の早稲田さんにとって避けられないテーマだ。
「主体性を持って熱くなったり、周囲と協力して前に進んだり、これらは人間にしかできない仕事です。どうやって人間の力を伸ばしていくか、AIの力も借りながら熱量高く取り組んでいきたいです」
DXエバンジェリストのサポート役を務める橋本橘平さんも、ChatGPTの登場に衝撃を受けた一人だ。
「10年前、ある社員から『社内のデータを1カ所に集めて、質問したら何でも答えてくれるようにできないの?』と言われたことがあったんです。当時の私は、技術的な制約から『できるわけないじゃないですか』と答えました。でも、ChatGPTを使えばできますよね。そのすごさを目の当たりにしたら急に過去の記憶がよみがえってきて……あのときは本当にごめんなさい」
橋本さんは今、10年前の塩対応を挽回するかのように、D-Brainをセキュアに使うための環境構築や社内啓発に取り組んでいる。
「ChatGPTに直接データやプロンプトを打ち込むのではなく、Microsoft Power AppsとAzule OpenAI ServiceというMicrosoftのツール・サービスを介して接続するようにしました。これにより、入力したデータを外部に送信することなく、ChatGPTの学習などにも利用されないようにしたのです」
また、D-Brainの回答が全て正しいわけではないこと、コンプライアンスやモラルの問題をはらむ可能性があることを繰り返し伝え、ログイン時の画面でも注意を促している。
DXは総力戦で戦ったほうが強い――DXエバンジェリストがそれぞれのやり方で難題を乗り越えていく姿に、その意味が少し分かったような気がした。