アントニオ猪木が「個人外交」で救出した湾岸戦争下の日本人
1990年8月、イラクのサダム・フセイン大統領(当時)が率いる軍隊が、クウェートに侵攻して一方的に併合を宣言した。この両国に駐在していた多くの民間外国人は帰国を許されず、日本人も多数が戦略拠点に「人質」として留めおかれていた。
もちろん、日本政府としては「邦人保護」は何よりも優先すべきことなので、「公式対話チャンネル」を用いてイラクやクウェートに働きかけた。が、無理だった。1991年初頭に幕を開ける湾岸戦争の前で、緊張が極限まで高まっていたからだ。結局、イラクで日本人46人(家族含む)が事実上の人質となった。
そこに、1人の参議院議員が単身乗り込んだ。故・アントニオ猪木氏だ。
90年12月にイラクで「スポーツと平和の祭典」というイベントを開催、政府の高官と会談して、「個人外交」を展開した。
まさしく、今回の鈴木氏と同じことをしたのである。だから当然、この時も愛国心あふれる人々からは「国賊」扱いでボロカスに叩かれた。政治評論家は、プロレスラーならいざ知らず、国会議員のバッジをつけている者が、パフォーマンスに走るなど言語道断だとぶった斬った。「独裁者・フセインにこびて国際社会に誤ったメッセージを与える」「素人が余計なことをして人質が殺されたらどう責任を取るのだ」とイベントを開催した猪木氏を罵った。
しかし、プロレスラーとして中東でも抜群の知名度とコネのある猪木氏は、最終的にフセイン大統領と交渉をして、46人を全員救出した。
政府が渡航中止勧告を出している国に、参議院議員が単身で乗り込んで、「政府を介さない外交」をしたおかげで、「邦人」の安全を確保することができた。
「国賊」と批判を浴びながら猪木氏が動かなかったら、あの戦火の中で日本人の安全はどうなっていたのか、考えるだけでも恐ろしい。
これが「戦争」というものだ。「政府を介した外交」だけで「独裁者」が心を入れ替えて、軍が撤退をするのなら、そもそもウクライナ戦争はこんなに長期化していない。
ロシアを孤立化させろ、プーチンを追いつめろ、と叫んでいるのは、テレビで野次馬的に戦争を見物している人々からすれば、「勧善懲悪ショー」に参加しているようで気持ちいいだろうが、「現実の戦争」は野球や五輪のように白黒がつく勝負ではないのだ。
ロシアにはロシアの「正義」があるし、ロシアについている国もまだたくさんある。長期化すればするほど、死者が増えていくこの状況を止めるには、早急に「対話」をして両国の落とし所を探っていくしかない。そして、その仲介役は、ロシアと対話ができる第三国が担うしかないのだ。
今、その役目は中国やインドが期待されている。しかし、日本にもロシアとはこれまで密接な関係を続けてきた人も少なくない。その代表が、鈴木宗男氏である。
猪木氏と同じように、鈴木氏の「政府を介さない個人外交」もいつか歴史的な評価をされる時がくるかもしれない。
(ノンフィクションライター 窪田順生)