「政治と宗教」のつながりは
何らかの形で残るだろう

 そして事件後、教団と政治の関係が世論の批判にさらされると、政党などは一斉に教団との関係解消に動いた。そして「教団との関係は一切ない」という旨の発表をし始めた。ただ繰り返しになるが、政党などが「自浄作用」を働かせ、これだけ深く政治に食い込んだ団体と関係を切ることは難しいと筆者は考える。

 というのも、国会議員の選挙を実質的に仕切るのは、選挙区の首長、地方議員、スタッフらである(第314回・p4)。その中には、信者であることを隠して紛れ込んでいる人がいるかもしれない。

 そうした末端の信者は、教団の教義を純粋に信じて、政治・行政やボランティアの活動に一生懸命取り組んでいる人たちだ。前述の通り、選挙スタッフがやりたがらないような雑用もこなすので、働きぶりも優秀だ。そうした人々を探し出して排除するのは至難の業である。

 また、過去に教団の支援を得ていた国会議員には、選挙に弱い若手も多かった。自力での票集めが難しいからこそ、教団の力を借りたのだ。実際に自民党では「各業界団体の票だけでは足りない議員について、教団が認めてくれれば、その票を割り振る」ことをしていたという(第309回・p4)。

 そうした“ギリギリ当選”を続けてきた議員が、一度票をもらった団体との関係を簡単に断ち切れるのだろうか。「政治家は、選挙に落ちればタダの人」である。

 さらに、教団が保守的な思想の団体であることも重要なポイントだ。仮に解散命令が確定しても、教団関係者が左派野党に投票する可能性は極めて低いといえる(第309回・p3)。信者が「勝手に」自民党の政治家を応援し、選挙で一票を投じるかもしれないのだ。そして、それを止めることは誰にもできない。

 日本では「政教分離」の原則の下、宗教団体が政治活動を行うこと自体は違法ではない(第309回・p5)。また、自由民主主義社会における、有権者の権利は守られねばならない。そのため、信者の「投票先」まで制限することは現実的に難しい。これを実行しようとすると、プライバシーや人権の侵害になり、宗教弾圧につながる危険性もある。

 そのため、今後も何らかの形で「政治と宗教」のつながりは残っていくだろう。では、この「あしき慣行」はどうすれば失われるのか。