「政治と宗教」の問題を解決する
唯一の方法とは?

 その答えは極めてシンプルだ。国民が政治に関心を持ち、投票に積極的に参加し、「宗教団体による組織票」が選挙の勝敗を左右しない状況をつくることである。

 何しろ、21年に行われた第49回衆議院議員総選挙における投票率は55.93%にとどまっている(総務省調べ)。そうした状況下では、政治家が有権者にさまざまな便宜を図り、その代わりに自身に投票してもらう「日本型どぶ板選挙」がいまだに有効な集票手段となる(第309回・p4)。

 この「日本型どぶ板選挙」とは、政治家が選挙で票を得るために、どんな所へでも訪ねていき、どんなことでもする選挙を指す。勝つためなら何でもありだ。その結果、さまざまな集票団体に宗教団体が紛れ込み、政治との関係が深まってきた経緯がある。

 そもそも多くの政党の議員は、初めて党公認の候補者となって選挙に出馬する前から宗教団体と関係があるわけではない。候補者として選挙区に入るとき、党や派閥の幹部、地元のベテランのスタッフから、支持団体など票を入れてくれる組織や人にあいさつをするように指示される。

 候補者はわけもわからず、言われるがまま、選挙に勝つために多くの組織や人に頭を下げる。こうした支持団体に、教団をはじめとする宗教団体が紛れ込んでいる。そこから「ギブ・アンド・テイク」の付き合いが始まり、集票において便宜を図ってもらうようになる。

 とはいえ、選挙において、政党の政策や政治家の人物像を見極めて投票するのは国民である。一人一人が有権者として責任ある投票行動ができるようになり、「集票マシーン」としての宗教団体が機能しなくなれば、どうなるだろうか。

 政党・政治家と宗教団体の双方にとって、接点を持つ意味は薄れるはずだ。前述した「勝手に応援(投票)する信者」はいるかもしれないが、組織的なつながりは次第に解消していくだろう。他の支持団体との関係も含め、「日本型どぶ板選挙」は終わりに近づくことになる。

 安倍元首相の暗殺事件以降、「政治と宗教」関連のニュースを見るたびに「まったく最近の政治家は…」と批判してきた人は多いかもしれない。だが、そうした人々がどれだけ投票に足を運んでいるだろうか。日本の政治を変えるには、むしろ国民自身が変わらなければならないということだ。