本を汚す・ポイ捨て・異臭騒ぎ…マナー最悪の客vs意地悪な職員、帝国図書館の知られざる歴史写真は東京都・台東区に所在する国際子ども図書館。同館は、1906年に帝国図書館として建設された建物がベースとなっている Photo:PIXTA

明治中頃、近代国家への道を歩み始めた日本の「知」を支えるために誕生した帝国図書館。現在の国立国会図書館につながる施設には、後に大作家となる学生も通ったが、マナー意識の低い利用者と上から目線の図書館との間でバトルは繰り返された。本稿は、長尾宗典『帝国図書館 近代日本の「知」の物語』(中央公論新社)の一部を抜粋・編集したものです。

若き日の賢哲も利用した帝国図書館
蔵書だけでなく建物にも魅了された

 かつて「帝国図書館」は、文部大臣の管理の下で運営された近代日本における国立図書館だった。第2次世界大戦後の1947(昭和22)年にその名も「国立図書館」と改称され、1949年には、新たに国会に設置された「国立国会図書館」(NDL)に統合されて、その役割を終えた。帝国図書館の蔵書は戦後NDLに引き継がれた。今日同館が所蔵している戦前期の出版物の大半は、帝国図書館の蔵書に由来する。

 日露戦争が終わった翌年の1906(明治39)年3月、「東洋一の図書館」を目指した帝国図書館の新館が開館。鉄骨煉瓦造りのルネッサンス様式の建物である。この建物は、現在、東京・上野の国際子ども図書館となっており、児童書を専門に扱う図書館として業務を行っている。

 姫路から第一高等学校入学準備のため上京した和辻哲郎は、帝国図書館の建物を「鮮やかな印象の残っている」ものの1つに挙げている。彼は図書館で英国の19世紀の詩人の作を次々と借りて、読むというよりページを眺めて楽しんでいたという。地方から上京した少年にとっては、上野の帝国図書館は「それまでの数年の間見たいと思っていたいろいろの書物」を借りられる場であった。

「わたくしに最も強い印象を残したのは、閲覧室の内部の姿であった。天井が非常に高く、従って東側と西側の壁に並んでいる窓も非常に細長く高くのびて居り、床の上に並んでいる閲覧机がいかにも下の方に、低いところにあるという感じになっていた。室の北端の一段高いところの机に控えている司書の人も、やはり同じように低いところにいるという感じで、天井の高さを反映していた。わたくしは机の上に開いた書物から眼を離して、時々天井を仰ぎ、そこにぶら下っているシャンデリヤを眺めた。こんなに高い天井の下に坐るのは生れて始めてだとしみじみ思った。そうして何ともいえない幸福な気持になった」(和辻哲郎『自叙伝の試み』)

 和辻は同じ回想で、英書が読みたければ丸善に行った方がよいのだが、田舎から出て来たばかりの貧乏書生には「一寸近づきにくいところ」だったとも述べている。帝国図書館が学生生徒の人気を集めた理由の一端を垣間見る思いがする。

 第一高等学校の生徒は、よく帝国図書館に通っていたらしい。芥川龍之介、谷崎潤一郎らの小説にも帝国図書館が登場する。