ふなばし・よういち
1944年北京生まれ。東京大学教養学部卒。一般財団法人日本再建イニシアティブ理事長。元朝日新聞社主筆(2007~10年)・慶應大学特別招聘教授。1968年、朝日新聞社入社。朝日新聞社北京支局員、ワシントン支局員、アメリカ総局長などを経て、朝日新聞社主筆。ハーバード大学ニーメンフェロー、米国際経済研究所客員研究員、米ブルッキングズ研究所特別招聘スカラー。外交・国際報道でボーン上田記念賞(1986年)、石橋湛山賞(1992年)、日本記者クラブ賞(1994年)受賞。主な著書に、『通貨烈烈』(88年、朝日新聞社、吉野作造賞)、『同盟漂流』(98年、岩波書店、新潮学芸賞)、『ザ・ペニンシュラ・クエスチョン-朝鮮半島第二次核危機』(06年、朝日新聞社)、『新世界 国々の興亡』(10年、朝日新聞出版社)など。

大震災から丸2年が経つ。地震、津波、原発事故という複合災害が日本を襲った。中でも福島第一原発事故は、日本の戦後における最大の危機だった。日本再建イニシアティブ船橋洋一理事長(慶応大学特別招聘教授)は、膨大な関係者の証言を基に、上下合わせて1000ページ近くにもぶ大著『カウントダウン・メルトダウン』(文藝春秋)を著した。そこには我々の知らない事実が詳細に語られている。同理事長に、なぜ福島第1原発事故は危機に陥ったのか、そしてその教訓は生かされているのかを聞く。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン編集長 原 英次郎)

最悪のシナリオでは
首都圏住民の避難も想定していた

――まず最初に、なぜ、福島第一原発をテーマとした本を世に問うべきとお考えになったかを、聞かせてください。

「最悪のシナリオ」物語というのが、書けるかもしれないと思ってからですね。

 東京電力福島第1原発事故は、戦後最大の危機でした。それは日本という国家が成り立つかどうかの瀬戸際の危機だったのです。

 そのことを痛感したのは、私たちのシンクタンク一般財団法人「日本再建イニシアティブ」が設立した福島原発事故独立調査・検証委員会(民間事故調)で調査を進めるうちに、当時の菅直人内閣が極秘につくっていた「最悪のシナリオ」のペーパーを入手してからです。

 入手したのは2011年12月末でした。