美術館に行っても「きれい!」「すごい!」「ヤバい!」という感想しかでてこない。でも、いつか美術をもっと楽しめるようになりたい。海外の美術館にも足を運んで、有名な絵画を鑑賞したい! そんなふうに思ったことはないでしょうか? この記事では、書籍『死ぬまでに観に行きたい世界の有名美術を1冊でめぐる旅』から、ご指名殺到の美術旅行添乗員、山上やすお氏の解説で「知っておきたい名画の見方」から「誰かに話したくなる興味深いエピソード」まで、わかりやすく紹介します。

ヴィーナスの誕生 サンドロ・ボッティチェリ『死ぬまでに観に行きたい世界の有名美術を1冊でめぐる旅』より

1000年ぶりに解禁された「女神の裸体」

ご覧ください! ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」です。
この絵はギリシャ神話をモチーフにしたものなんですが、何か思うことはありませんか?

実は当時にしてはかなり攻めてる絵なんですが。

──え…何かって…なんだろ。「ヴィーナスが素っ裸」、ですか?

素晴らしいです! そうですね、「ヴィーナスが素っ裸」、もそうなんですが、もっと突き詰めて言うと、「ギリシャ神話がモチーフ」であること自体がありえなかったんです。

──どういうことですか?

当時の人々はほぼみんなキリスト教徒で、マリア様の絵なんか人気がありました。
キリスト教は本来一神教、つまり「神様は一人だけ」という考え方ですから、キリスト教以外の神様を描くことはタブーだったんです!

──なるほど、そういう意味で攻めているんですね! じゃあこの作品はボッティチェリが誰にもバレないようにひっそりと描いたとか…?

それがそうでもないんです。
「ルネサンス」につながるんですが、その当時「プラトン・アカデミー」という古代ギリシャの哲学者、プラトンの考え方に傾倒するグループがありました。

そこでは愛や美にまつわる知的な議論が行われていたそうです。そんな彼らが理想美の復活を求めた先が古代ギリシャやローマにおける美術であって、そこには裸が溢れていた…という感じでしょうか。

──なるほど…でも「大切なのは依頼主」の時代ですよね? メディチ家的には大丈夫だったんですか?

はい、大丈夫でした。
なんならそのアカデミーの研究はメディチ家の別荘で行われていたんですよ。
だからボッティチェリも忌憚なくその想像の翼を広げることができたんでしょうね♪

──そうなんですね! それで裸がOKに…。

はい。キリスト教全盛の時代には「裸は罪深いもの」と考えられていたので、絵画でも控えられていました。

ルネサンスで新しい考え方が生まれたことで裸を絵にすることができるようになったんです。

それまでのなんと1000年ほどの間、裸は姿を消していました

それほど昔に途絶えた裸が、このヴィーナスの誕生に代表されるように、復活を果たしたんです!

──なるほど…現代では当たり前に見える裸にも、こんな歴史があったんですね!

(本記事は山上やすお著『死ぬまでに観に行きたい世界の有名美術を1冊でめぐる旅』から一部を抜粋・改変したものです)