私たちの頭の中では、日々「部屋の掃除をさぼってしまおうか」「これは上司に相談すべきだろうか」などと声が聞こえ、自分自身と話をしているはずです。この声は「頭の中のひとりごと(チャッター)」と言います。自分自身の強大な力にもなりますが、暴走すると様々な害をもたらします。その顕著な例の一つがSNSです。「自分の思考を公にしたい」「自分をよく見せたい」という「頭の中の声」に駆り立てられた投稿は、なぜ他人の感情を害するのでしょうか。イーサン・クロス『Chatter(チャッター):「頭の中のひとりごと」をコントロールし、最良の行動を導くための26の方法』(鬼澤忍訳、東洋経済新報社)から、一部を抜粋・編集し、見解をお届けします。
ソーシャルメディアの二つの気がかりな特徴
フェイスブックをはじめとするソーシャルメディアのアプリケーションは、世界を一変させるプラットフォームをもたらした。それは、私たちの内なる声を伝え、他人の内なる声(あるいは少なくとも、彼らが考えていると私たちに思わせたいこと)に耳を傾けることを可能にする。
実際、フェイスブックにログインする人が真っ先に目にするのは、自分の思いを投稿させようとする次の言葉である。「その気持ち、シェアしよう」
そして、私たちはそのとおりに投稿する。
2020年、フェイスブックとツイッターの利用者は25億人に迫ろうとしている。世界の人口の約3分の1だ。利用者は頻繁に投稿しては、個人的な思いを共有している。
ここで強調しておきたいのは、ソーシャルメディアでの共有は本質的に何ら悪いことではないという点だ。人類の長い歴史年表において、ソーシャルメディアは私たちが相当な時間を費やしている新たな環境というだけであり、環境そのものには良いも悪いもない。環境が有益か有害かは、私たちが環境とどう関わるかによる。
とはいえ、自分の思考の流れを公にしたいという強い衝動を考えると、ソーシャルメディアには気がかりな特徴が二つある。それは、「共感」と「時間」にまつわるものだ。
共感を表す身体的要因の欠如
個人的なものであれ集団的なものであれ、共感(エンパシー)の重要性はどんなに強調してもしすぎることはない。共感のおかげで、私たちは他人と有意義なつながりを築くことができる。私たちが無意識のうちにしょっちゅう愚痴をこぼしている理由の一つは、共感にある(私たちは他人の共感を求めている)。
共感はまた、コミュニティを団結させる仕組みの一つでもある。私たちが共感の能力を進化させたのは、それが人類が生き延びる助けとなるからだ。
研究によれば、他人の感情的な反応を観察する――誰かがびくっとするのを見る、声が震えているのを聞く――ことは、共感を呼び起こす潜在的なルートになる場合がある。だが、かすかな身振り、微妙な表情、声の抑揚など、日々の生活において共感的反応を引き出すものが、オンラインには欠けている。すると、残酷さや反社会的行為の抑制という重要な社会的機能を果たす情報が、脳から奪われてしまう。