言い換えれば、共感が低下すると、いわゆる荒らしやネットいじめがきわめて多くなり、それが深刻な結果を招く。たとえばネットいじめが原因で、鬱状態、不安、薬物乱用といった症状が長期化するばかりか、頭痛、睡眠障害、胃腸疾患、ストレス反応システムの作用の変化など、いくつかの有害な身体的影響が出やすくなるのだ。

時間の経過の欠如

 時間の経過も、日々の感情をうまくコントロールするのに同じく欠かせない。心乱される経験を自分なりに咀嚼しようという場合はなおさらだ。

 現実の世界で話をする相手を特定する際、その人の顔を見るまで、もしくはその人が雑談に応じられるようになるまで待たねばならないことが多い。その人を待っていると、魔法のようなことが起こる。時間の経過のおかげで、私たちは自分が感じていることや考えていることに思いをめぐらせ、それに伴って気持ちが落ち着く場合が多い。実際、「時間は癒し」という一般的な考え方や「時間をかけよう」というアドバイスの妥当性は研究によって裏づけられているのだ。

 さて、デジタルライフというパラレルワールドへ移動してみよう。スマートデバイスのおかげで、私たちはいつでもこの世界にアクセスできる。ソーシャルメディアを使えば、私たちはネガティブな感情反応の直後に他人とつながれる。時間的に見て、自分がどう感じているか、次はどうするつもりかをあらためて考える機会はない。

 21世紀がもたらした「つながりやすさ」のおかげで、内なる激情がまさにピークにあるうちに、内なる声が屋上から怒鳴り散らしたがっているときに、それができるのだ。

 時間の経過や、共感を引き出す身体的要因が排除されると、ソーシャルメディアは内なる声の見苦しい側面を容易に受け入れる場所となる。すると、個人にとっても、またほぼ間違いなく社会全体にとっても、争い、敵意、チャッターが増えやすくなる。さらに、私たちはかつてないほど自分の思いを過剰に表明するようになる。

 自分の問題を他人に対してあまりにも長く頻繁に話す場合と同じように、過度に感情的な投稿は他人をいらだたせ、遠ざける。こうした投稿は暗黙の規範に違反しており、ソーシャルメディアの利用者には、オンラインで過剰に自分を語る人はオフラインで友人の支えを求めればいいのにと思われてしまうのだ。