板倉氏の地元は鳥取県の岩美町で、実家の目と鼻の先にはズワイガニで有名な網代港がある。漁業が盛んな地域で、板倉氏の親族や友人の中にも漁業従事者が多いそうだ。

起業のきっかけとなったのは、その漁港が徐々に衰退する様子を目の当たりにしたこと。地元へ戻る度に漁船が減っていたり、セリが衰退したりしていた。今では港も半分しか使われなくなっている。そんな光景を目にして「このままではマズい」という危機感とともに、「どうにかして地元の水産業を再生したい」という思いが強くなっていった。

「漁師を継いでいた幼なじみから『もう自分の子供には継がせたくない』という話を聞いた時には衝撃を受けました。魚の売価はそこまで変わらないのに、燃料や資材の高騰でランニングコストだけは上がっていく。つまり出ていくお金は増えるのに、入ってくるお金は変わらない。漁師の方々の置かれている環境が厳しくなっていく中で、何とかその構造を変えられないかと試行錯誤しました」(板倉氏)

いろいろと調べていくうちに、板倉氏は「産地の相場が上がっていかないこと」が大きな問題だと考えるようになった。それならば、産地の人たちが新たな販路を持つことができれば競争が生まれ、相場が上がっていくかもしれない。

その時に頭に浮かんだのが、今のUUUOにも繋がるマーケットプレイスの構想だ。

ウーオの投資家であり、初期の構想段階から同社をサポートしているインキュベイトファンドの村田祐介氏(村田氏はウーオの社外取締役も務める)も水産市場にはテクノロジーを活用することで変革できる余地が十分にあるという。

「10〜20km程度しか離れていない漁港でも、同じ数量の同じ魚種が全く別の料金で売買されていたりするんです。仲買人が寡占市場になっていたり、漁師と卸売人の関係性が歪な状態になっていることがあったり、そもそも情報の非対称性が地場のネットワークで守られすぎていたり。ものすごくローカルに閉じたネットワーク構造になっているからこそ、この市場が健全に回るマーケットプレイスを作ることができれば、大きな可能性があると感じました」(村田氏)

自ら“魚屋”になることがマーケットプレイス実現のための最短ルート

面白いのはマーケットプレイスを立ち上げる構想自体は初期からあったものの、結果として板倉氏たちが選んだのは、買参権を取得して自ら仲買事業者として産地に入っていったことだ。なぜ、一見遠回りにも思えるようなアプローチを選んだのか。

「自分たちに水産業の経験や知見がなかったため、いざマーケットプレイスを立ち上げようと思った時に魚をどう売ればいいのか、どう買えばいいのかがわからずつまずいたんです。プロトタイプを作るにも、必要な情報が揃っていなくて、やればやるほど課題が出てきた。その時に自分たちが実際に産地のプレーヤーとして一連のオペレーションを経験してみることが、現場の人たちに使ってもらえるマーケットプレイスを実現する上で1番手っ取り早い方法だと考えました」(板倉氏)