朽木 はい、当時人気のあった芸人の取材もさせてもらって、舞い上がっていました。そのうちライターの仕事だけで月給が30万円を超えて、6年制なので大学を卒業するまでの3年間続けました。

WELQ騒動で燃えたのは、「自分」だったかもしれない

徳力 月給30万円は、下手な大手企業の初任給よりも多いじゃないですか。それでメディアの道を選ぶわけですね。

朽木 はい。本当に医師になりたいのか、迷いが生じていて、勉強にも身が入っておらず、医師国家試験に不合格になって。普通は予備校に通って翌年また受け直すのですが、もう少し違う世界を見てみたい、と考えて、社会勉強のつもりで飛び込みました。

徳力 Webメディア運営会社には、どういう経緯で入社したのですか。

朽木 小学館とは別のアルバイトで縁があったんです。そこで、前任者が急に辞めたこともあって、入社半年で編集長に就任しました。当時は、深夜3時まで仕事をして、会社のソファで寝てマンガ喫茶でシャワーを浴びて、また朝8時から働くみたいな生活でした。PVや売上目標もかなり高くて、なぜ人材が定着しないのか、理由が分かりました(笑)。

徳力 編集長をされていた頃、セミナーによく登壇されていましたよね。

「ネットメディアの将来が見えない」 医学部出身の記者・朽木誠一郎の怒り徳力基彦 氏 アジャイルメディア・ネットワーク アンバサダー/ブロガー ピースオブケイク noteプロデューサー 提供:Agenda note

朽木 ただアルバイト程度の編集経験しかなくて、誰からもきちんと業務を教わったことがないのに登壇していて、何だか自分の虚像が膨らんでくような感覚で「本当にやばい!」と思っていました。

徳力 マジメですね(笑)。アルバイトも含めればメディア業界に5年以上いて、それなりの給与を稼いでいた時期もあるのだから、自分のことをそれなりに経験のある編集者だと思ってもいい気はしますけど、そう思わないのが朽木さんらしい逸話ですね。

朽木 調子にのれる環境ではないんですよ。アルバイトで30万円稼いでいたのに、入社した途端に手取りが14万円になりましたから。「Webメディアは食べていける仕事ではない」と、痛いほど思い知ったんです。

 次に、編集をきちんと勉強しようと入社させてもらった編集プロダクションのノオトは、本当にいい会社でした。ただ、私は2浪1留で6年制大学を卒業していたので、入社時はまもなく30歳。なのにまだまだ駆け出しのような人材で、このまま、家族ができたらどう養うのか、一生食べていけるのか、不安も感じていました。そうした思いを抱えている頃、DeNAのWELQ騒動が起きたんです。

徳力 DeNAが運営する医療メディア「WELQ」に不正確だったり他サイトから盗用したりした記事が大量に掲載されていた問題ですね。当時、朽木さんと同じような若者の編集者が「何が良くて何が悪いのか」という判断がつかないまま記事を世に出して、社会全体から批判される結果になりましたよね。