日本の報道から抜け落ちた北朝鮮の姿を伝えたい

開沼 街の移動をさせないのは、何らかの理由があるんでしょうね。例えば、余計な情報に触れさせたくない、秩序が乱れるとか。平壌の街並みはきれいだと聞きます。

初沢 きれいですよ。ゴミ1つ落ちていません。北朝鮮は明確な階級社会です。労働党の党員などはある程度自由に行き来もできますが、自分の街で生涯過ごす人も多いみたいです。平壌は「北朝鮮のショーウィンドウ」と言われますが、いまだに停電は多いですね。こちらもあまり大げさに驚かないように務めますが、外国人が食事をするようなレストランでも頻繁に停電します。それでも、90年代後半に北朝鮮に行った人たちの話と比較すると、ずいぶん電力事情は良くなっているみたいです。あと、ここ10年で大きく変わったのは中国製品が一気に流入してきたことでしょう。デパートにはテレビやベッド、炊飯器などの中国製品が溢れています。

なぜ、北朝鮮や被災地の日常を切り捨てるのか? <br />日本の報道から抜け落ちた彼らの素顔に迫る <br />【写真家・初沢亜利×社会学者・開沼博】開沼 博(かいぬま・ひろし)
社会学者、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員。1984年、福島県いわき市生まれ。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。専攻は社会学。学術誌のほか、「文藝春秋」「AERA」などの媒体にルポルタージュ・評論・書評などを執筆。読売新聞読書委員(2013年~)。
主な著書に、『漂白される社会』(ダイヤモンド社)、『フクシマの正義「日本の変わらなさ」との闘い』(幻冬舎)、『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)など。
第65回毎日出版文化賞人文・社会部門、第32回エネルギーフォーラム賞特別賞。

開沼 中国の景気が良くなったから、中国が経済をコントローするために流している側面もあると。

初沢 北朝鮮は軍事的には独立していますが、経済的には事実上の中国による植民地化が進んでいます。そのため、一方ではアメリカや日本などとの関係を改善してバランスをとろうとしている。核開発によって交渉のテーブルにつかせようというのは、かなり荒っぽい手法だとは思いますが。

開沼 中国が北朝鮮を植民地化しないのはなぜですか?

初沢 事実上植民地化された状況になっています。北朝鮮はあまりよろしくないと思っているので、とにかくアメリカとの平和協定を結びたいという意思をアメリカに投げかけています。

開沼 写真に写った平壌の街並みを見ると、いくつかのビルには金日成の肖像が掲げられてるんですね。これは自主的なのか、それとも義務ですか?

初沢 学校や家庭には金日成主席と金正日総書記の写真があります。強制的に掲げているというよりも、生活と一体化してるのではないでしょうか。すべての国民が金王朝を心底支持しているとは思えませんが、「恐怖政治に怯えて仕方なく支持している」ということでもない。国民心理としては戦前の日本に近いと思います。

開沼 それで国内全体を統治しているわけですね。とはいえ、都会と田舎では北朝鮮への印象に違いはありませんでしたか?

なぜ、北朝鮮や被災地の日常を切り捨てるのか? <br />日本の報道から抜け落ちた彼らの素顔に迫る <br />【写真家・初沢亜利×社会学者・開沼博】『隣人。38度線の北』(徳間書店)より
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初沢 写真集をめくってみても、平壌編から地方編に入ると一気に色調が変わります。土埃が舞っているような。でも、考えてみれば中国やタイ、フィリピンの農村部とそう変わるものではないでしょう。極端に痩せている子供や身長のわりに頭部の大きな大人を見かけることはありました。90年代後半に食料がない環境で育ったのでしょう。地方に行けば一定の現実は見えてしまいますが、それらをすべて隠し切っているかと言えばそうでもないんですよ。

 北朝鮮が良い国であるというつもりはことさらありませんけど、悪い国であると言うつもりもありません。しかし、日本の報道が偏りすぎていた部分に対して、抜け落ちている北朝鮮の姿を伝えようと思ってバランスをとる必要があるかなとは思いました。これだけ北朝鮮の有事報道が増えてくると、この写真集はどう理解されるかなぁ。

肩身の狭い思いをする案内人

開沼 本を刊行すると多かれ少なかれリアクションがありますよね。写真集の反響はどうでした?

初沢 新聞や雑誌のインタビューは20件以上受けました。「伝える意義のある写真集だ」と思っていただいたからだと思います。あとは在日の人たちがずいぶんと喜んでくれています。会ったことのない人、地方の朝鮮学校の先生からもFacebookにメッセージ付きの友達申請がかなりの数ありました。「兄弟2人が帰国したが、万景峰号の入国が禁止されてからは行けていない。久しぶりに朝鮮の姿を見て涙が流れました」という切実なメッセージが付いていたり。あくまで日本人に向けた写真集ではありますが、在日の方からの反響はとても勇気づけられます。

開沼 そういった方々は、日本と北朝鮮を行ったり来たりするように、北朝鮮との関係が近い方が多いんですか?

なぜ、北朝鮮や被災地の日常を切り捨てるのか? <br />日本の報道から抜け落ちた彼らの素顔に迫る <br />【写真家・初沢亜利×社会学者・開沼博】『隣人。38度線の北』(徳間書店)より
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初沢 2006年以降、万景峰号の行き来ができなくなりました。飛行機ではまずものが運べません。あと、万景峰号はとても安かったみたいですね。金銭的にも割高になるので、以前のようには行き来していない方が多いと聞いています。

開沼 万景峰号はどこから出航するんでしたっけ?

初沢 新潟から元山(ウォンサン)港です。

開沼 写真集の1枚目は万景峰号ですよね?

初沢 そうです。夜9時くらいに星空を写し込みながら撮ったのですが、案内人とはかなり激しいトラブルになりました。「見回りをしている公安に呼び止められたらただじゃ済まない」と本気で怯えていましたね。

開沼 それは万景峰号が有名で、ただの船にはない政治的なメッセージが絡むからということですかね?

初沢 実際、その辺のことはよくわかりません。本当に公安が周囲にいるのかも、声をかけられて拘束されるのかも。あるいは大したことはないのかもしれない。ただ、案内人の青ざめた顔を見ていると「ただ事ではないな」という気はしましたが。

街中の人ごみでカメラを向けて撮ると、地元の人たちはまずビックリします。ぱっと見た瞬間に僕が日本人だとわかります。そこに韓国の人はいないわけですから。まずは僕に対して厳しい目があり、次に案内人を見て、その次に車のナンバーをチェックしたりしていました。

開沼 それは、例えば相手が現地のホワイトカラーの時も、地方の貧しい人の時も同じ反応でしたか?

初沢 ホワイトカラーの人も同じですね。それから、軍人がとにかく街にまぎれてたくさんいるので、「何を撮らせてんの?」という話もありました。案内人はものすごく肩身が狭いですね。