売春島、偽装結婚、ホームレスギャル、繁華街のスカウトマンといった好奇の眼差しにさらされる、あるいは「見て見ぬふり」をされている存在に迫り続ける社会学者・開沼博。同じく、イラク戦争、北朝鮮、被災地のように、決まりきったストーリーでしか語られない事象の真実を切り取る写真家・初沢亜利。
対談第2回では、一切の立ち入りを禁じられた北朝鮮の地方へと食い込み、メディアが報じない市民の本音に迫った初沢氏の体験へと話は及ぶ。

北朝鮮ウォッチャーから語られた本音

開沼 とても大きなテーマでもある北朝鮮を撮った『隣人。38度線の北』が発行されてから2ヵ月です。

初沢亜利(はつざわ・あり)
1973年フランス・パリ生まれ。上智大学文学部社会学科卒。第13期写真ワークショップ・コルプス修了。イイノ広尾スタジオを経て写真家としての活動を開始する。
写真集・書籍に『隣人。38度線の北』(徳間書店)、イラク戦争の開戦前・戦中のバグダッドを撮影した『Baghdad2003』(碧天舎)、衆議院議員・福田衣里子氏の選挙戦から当選までを追った同氏との共著『覚悟。』(徳間書店)、東日本大震災の発生翌日から被災地に滞在し撮影した『True Feelings』(三栄書房)。

初沢 発売直前に衛星の打ち上げがあり、年が明けて核実験と、安全保障上の脅威が高まっている時期に重なってしまったのが良かったのか悪かったのか……。総聯(在日本朝鮮人総聯合会)に訪朝の打診をしたのが2009年秋でしたから、3年がかりでの完成となりました。北朝鮮を写真で表現できるのかどうか、最初はまったく情報のないところからスタートしました。どうやっていけばいいのか、危ないのか危なくないのか、どの程度撮れるものなのか。何にもわからないわけです。北朝鮮ウォッチャーと言われる専門家が周囲に数名いたので、彼らに基本的なことを教えてもらうことが第一歩でしたね。

開沼 北朝鮮ウォッチャーは日本に何人くらいいるんですか?

初沢 そういう肩書きがあるわけではないので正確な数字は何とも言えませんが、メディアに定期的に登場するのは20人くらいですかね。拉致問題や安全保障上の問題が起こる都度、テレビなどに出て発言をしますが、基本的には大げさに面白おかしくコメントをする節はあります。それで生計を立てている方も多いですから。ただ、彼らと飲みながら話をしていると、必ずしも北朝鮮批判一辺倒ではないんですよ。今後の日朝関係について尋ねると、ほとんどの方が「なるべく早い段階で国交正常化をしたほうがいい」と口を揃えるんです。テレビでは一切そんなことは言いませんけどね(笑)。

『隣人。38度線の北』(徳間書店)より
拡大画像表示

 ウォッチャーの人たちは、みんな本音のところでは北朝鮮が好きなんですよ。そうでないと何十年と執着し続けないでしょう。一方で、北東アジアの平和と安定についても真剣に取り組んでいるので、「結局は対話以外にあり得ない」という結論になるんでしょうね。ただ、テレビでそれを言っても商売にならないというのも事実で、結果として彼ら自身が反北朝鮮ナショナリズムを煽っている部分があるのかな、と思うことはあります。いろいろお世話になっているのであまり悪くは言いませんが(笑)。

開沼 1990年代までは「北朝鮮」という言葉を使うことすら難しい状況があったわけですよね。ニュースでは「北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国」とフルネームで報じていた時期があったのを覚えています。拉致の問題もこれほど注目されていませんでした。冷戦構造下に確かに存在した「社会主義国が進歩的であり、アンタッチャブルでもある」という前提が崩れきっていなかったんでしょう。しかし、北朝鮮はそこから、今に続くような好奇の目を向けられる対象、「いじられるポジション」に変化していく。そういった意味での「北朝鮮言説空間」っていつからできているんですか?

初沢 一気に高まったのは97年。拉致の事実が明るみになり、家族会、救う会、拉致議連が発足し、2002年に金正日が拉致を認めてから加熱しました。それからは「言説空間」などという紳士的なものではなく、罵詈雑言の雨あられ。何しろ、戦後日本が初めて味わった国家としての被害体験ですから、ここぞとばかりにナショナリズムが沸騰した感がありました。

 拉致問題と安全保障上の問題が相乗効果を生みながら維持されてきた反北朝鮮報道ですが、5人が帰国して以降、「まだ北朝鮮国内に残っているであろう拉致被害者をどうしたら帰国させることができるか」という最も重要な課題とかけ離れたところで、「あんな国はぶっ潰してしまえ!」という強硬な発言が盛り上がっていった。2002年に交わされた日朝平壌宣言が事実上白紙となってしまったのは、個人的には残念なことです。

「そもそも、拉致問題の解決が最重要課題だったのでは?」という疑問が頭から離れずに、その後も報道を眺め続けていました。「北朝鮮をぶっ潰してやれ!」と騒いでいる連中が声を上げることの延長線上に、拉致被害者が帰って来る手立てがあるのかといえばまったくない。もっと言えば、戦争する覚悟なんて我が国にはないでしょう。みっともないな、という気がしていました。