人はなぜ病気になるのか?、ヒポクラテスとがん、奇跡の薬は化学兵器から生まれた、医療ドラマでは描かれない手術のリアル、医学は弱くて儚い人体を支える…。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、X(twitter)で約10万人のフォロワーを持つ著者(@keiyou30)が、医学の歴史、人が病気になるしくみ、人体の驚異のメカニズム、薬やワクチンの発見をめぐるエピソード、人類を脅かす病との戦い、古代から凄まじい進歩を遂げた手術の歴史などを紹介する『すばらしい医学』が発刊された。池谷裕二氏(東京大学薬学部教授、脳研究者)「気づけば読みふけってしまった。“よく知っていたはずの自分の体について実は何も知らなかった”という番狂わせに快感神経が刺激されまくるから」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。
立ちくらみの謎
蛇口をひねると水は下に落ちる。川の水は高いところから低いところへ流れていく。物体が重力に従って移動するこの現象を、私たちは自然に受け入れている。
ところが、私たちの体を流れる血液は、全く違った動きをしている。血液を送り出す心臓は、体の中ほどに存在する。二足歩行の私たちが、心臓より上にある臓器に血液を送るには、常に重力に逆らう必要があるのだ。
心臓より高いところにあり、生きていく上でもっとも重要な臓器が脳である。脳は酸素不足に弱い臓器だ。心停止によって脳への血流が途絶え、酸素供給が滞ると、数秒で意識を失う。三~五分以上心臓が止まると、脳に不可逆的なダメージが起き、生命に危険が及ぶ(1)。
これほどデリケートな臓器を、あろうことか体のもっとも高いところに配置し、四六時中、重力に逆らうシステムで守っているのが私たちだ。大変「危なっかしいしくみ」である。
むろん寝ているときなら心配はない。脳は心臓と同じ高さにあり、血流を維持しやすいからだ。問題は、勢いよく立ち上がったときである。その瞬間、めまいがしたり、平衡感覚が失われ、ふらついたりする現象を経験したことは誰しもあるだろう。いわゆる「立ちくらみ」、正確には「起立性低血圧」である。瞬間的に、重力に逆らって送り出すべき脳への血流が不足するのである。
そう考えれば、「立ちくらみはなぜ起こるのか」ではなく、「普段立ちくらみはなぜ起こらないのか」を考えてみるべきだろう。重力の存在を考えれば、もっと頻繁に起こっても不思議ではないからだ。
では、激しい姿勢の変化があっても血液の流れが保たれるのは、なぜなのだろうか? ここで知っておきたいのが、自律神経の働きだ。
自律神経の働き
立ち上がると、血液は重力に従って足のほうに溜まろうとする。全身に張り巡らされた自律神経のシステムがこれを察知し、脳への血流が減らないよう即座に対処する。
ここでは、ホースを使って水を高く飛ばすにはどうすればいいかを考えるとよい。その方法は二つ。蛇口を大きくひねって流れる水の量を増やすか、ホースの先端を握って径を細くし、水の勢いを強くするか、である。
つまり、自律神経系は即座に心拍数を上昇させ、送り出す血液の量を増やすとともに、全身の血管を収縮させることで、血液を遠くへ送り出しやすくするのだ。こうした働きを担うのが、自律神経の中でも「交感神経」と呼ばれる神経系だ。この働きによって、姿勢が大きく変化しても血圧が保たれ、体の機能が維持されるのである。
一方、立ちくらみが起きやすいのは、こうしたしくみがうまく機能していないときである。何らかの病気や薬の副作用で自律神経の働きが弱まっていると、血圧のコントロールが鈍ることがある。また、出血によって血液が少なくなった状態(貧血)や、水分摂取が不足して体に水が足りない状態(脱水)でも、立ちくらみが起こりやすくなる。まさに、ホースの中を流れる水の量が少ない状態だ。遠くに飛ばそうと先端を絞っても、水量が足りなければどうしようもない。
心臓の機能が悪い場合も、血圧のコントロールが難しくなる。いわば「蛇口の開き方が十分でない状態」だからだ。
あなたが失神する理由
採血や点滴の際、注射針を刺された瞬間に、痛みや心理的なストレスでふらついて倒れてしまう人がいる。この反応を、血管迷走神経性失神(血管迷走神経反射)という。自律神経系のバランスが崩れて心拍数が落ち、血管が拡張して脳への血流が一時的に減ることが失神の原因だ。蛇口が十分に開かず、かつホースが十分に細くなれなくなった状態である。
迷走神経とは副交感神経の一種で、ちょうど交感神経と真逆の働きをする。自律神経系は、交感神経と副交感神経という二つの相反するシステムがバランス良く働くことで、体の機能を維持している。副交感神経が過剰に働く一方、交感神経の働きが抑えられることで起こるのが、血管迷走神経性失神なのである。
学校の朝礼中、長時間立ちっぱなしでいるうちに、ふらついて倒れた経験のある人がいるだろう。これも、血管迷走神経性失神の一つだ。長時間、同じ姿勢でいることで自律神経系のバランスが崩れることがあるのだ。
すぐに脳への血流が回復して意識は戻るため、ほとんどの場合、特別な治療は必要ない。ある意味で、二足歩行の人類が宿命的に背負う弱点ともいえるだろう。
【参考文献】
(1)日本救急医学会、医学用語解説集「低酸素脳症」
https://www.jaam.jp/dictionary/dictionary/word/0115.html
(本原稿は、山本健人著『すばらしい医学』を抜粋、編集したものです)
2010年、京都大学医学部卒業。博士(医学)。外科専門医、消化器病専門医、消化器外科専門医、内視鏡外科技術認定医、感染症専門医、がん治療認定医など。運営する医療情報サイト「外科医の視点」は1000万超のページビューを記録。時事メディカル、ダイヤモンド・オンラインなどのウェブメディアで連載。Twitter(外科医けいゆう)アカウント、フォロワー約10万人。著書に18万部のベストセラー『すばらしい人体』(ダイヤモンド社)、『医者が教える正しい病院のかかり方』(幻冬舎)、『もったいない患者対応』(じほう)、新刊に『すばらしい医学』(ダイヤモンド社)ほか多数。
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