打席に立つチャンスが限られた新人にとってこれは貴重な機会だ。先輩が捨てた商談だから行っても怒られない。新人の僕は先輩が見切りをつけたこういったお客様にもガンガンアタックしていた。
すると同じ店で少し前に「今日は買わない」という結論が出たお客様なのに、契約になる事がある。それもかなりの頻度だ。そういった事が1年の間に何十回もあった。これはどういう事だろう。
クルマに疎い新人がなぜ契約をたくさん取れる?
僕は今でもそうだが、クルマに疎い。クルマの持つスペックやグレード、装備などは未だに覚えられない。百戦錬磨の先輩、それこそ毎年表彰台に上がるようなベテランの先輩では決まらず、後に行く素人の僕がバンバン契約を取っていく。当時はこの時に起きている事を正確に把握できていなかった。若くて感じがいいからだというものかと思っていた。
では世の中の感じのいい新人は売れているのか?いいや売れない。商談はそんな簡単なものじゃない。僕も新卒を採用して教育する立場になって理解した。感じがいい事は必要だが、それは営業のほんの一要素に過ぎないし、当時の先輩だって今考えれば十分若くて感じのいいイケメンだった。
では何故素人の僕が売れたのか?それは、「クルマを売ろうとせずに、クルマのある生活を売ろうとしていた」からだ。商品説明をせずに、お客様がクルマに求める事を一緒に考えて、相手の立場になって一緒に探していた。
人と人とのコミュニケーションからしか引き出せないものがある
これが営業の本質だと思う。「ドリルを売るには穴を売れ」はマーケティング業界ではよく言われる言葉だが、お客様にとってのクルマは、移動手段以上の「何か」が必ずある。その「何か」を引き出して、限られた条件の中で選択を提供し、最適解に導く。そこにはもちろん楽しさも必要だ。
ここには血の通った人と人とのコミュケーションがあり、自分が経験してきた事や見てきた事、その時の感情やこれからの希望や不安、色々な要素が複雑に絡み合あってくる。つまり、「あなたがいるから安心して任せると言われる事こそ」が営業の役割だ。
だから、どんなにこのお店にテクノロジーが進化しても営業は代替不能と考えられている一番の要因だ。現場でやっていれば分かる。こんな高度な事は人間にしかできない。
人は自分の為に行動するより、人の為に何かをする方が幸せになるようにできているらしい。「利他の精神」だ。誰かの役に立ちたい、喜んでもらいたいと思い、行動する事の方が、自分が何かを得るよりもずっと幸せな気持ちになれるそうだ。
まさに営業の仕事がこれだと思う。