優秀な経済学者を活用できた
グーグルの経営者

――どのような調整があるのですか。

 例えば、2000年代前半ごろの話になりますが、スナイピング(ギリギリ入札)問題の対策というものがありました。インターネット上の「競り上げ式」オークションの問題として、締め切り時間直前に駆け込み入札が多くなるという現象があります。この場合、締め切りギリギリに入札できた入札者が落札し、最高値入札の意思をもった人が落札できないことが起こりえます。こうなると、不動産所有者にとって損失となりますし、各入札者にも不満が残ります。さらには、売り手、買い手だけでなく、場の運営者である不動産仲介業者にとっても損失になります。

 この課題の対策としては、入札時間の延長ルールを導入しました。例えば、締め切り10分前に入札があったら、さらに10分間延長していく。入札者が最後の一人になるまで延長していく設計にすることで、最高値入札の意思を持った人が落札できることになるのです。延長戦が長々と続くこともありますが、これにより入札者はそれぞれの真の評価額まで入札を行い、最大評価をした入札者が購入することになります。

 その他にも、入札検討時間やスタート価格、入札参加者の人数など、細部を丁寧に調整することで、よりよいオークションが実現できます。その調整においてベースとなったのが、経済学の知見なのです。

 ただし、経済理論はビジネスにおいて万能というわけではありません。学者からの提案が、商習慣と合わないこともあります。学者の学知とビジネスパーソンの知見を、うまく組み合わせることが肝要です。そのために、経済学者とビジネスパーソンは先生と生徒の関係ではなく、フラットに意見が出し合える関係が重要なのです。

――理論が単純に通用しない例としては、どんなことがありますか。

 不動産オークションでは、競り合って、熱が入りすぎてしまうことがあります。競り勝つことが目的化してしまい、予算を超えた価格で入札してしまう個人顧客も過去いらっしゃいました。そして、最終的に落札しても、後になって購入資金が準備できないということもありました。資金が用意できないと、不動産売買が成立しません。その間に、2番目に高値を提示した入札者は他の不動産を購入していて、購入検討者を再度探すことになることもありました。経済学では、こうした落札後の業界商慣習については研究されていません。

 不動産事業者のように反復継続する入札者の場合、業界特有の事情を経済学に考慮していく必要があります。例えば、そのような事業者が買い手の立場に立つと、各事業年度の予算も考慮した入札行動が起こります。一般の方が自宅などを購入する場合は、目の前のオークションのことだけ考えて、とにかく自分の予算内で他者よりも高い価格を提示しますが、事業者の場合は事業計画に合わせて入札していきます。時には、計画達成のため、予算を越えた入札をすることもあります。逆に、少しでも安く購入するため、他の入札者と調整をすることがあるかもしれません。こうした様々な事情を抱えた売り手、買い手の皆様が満足して取引に参加していただけるオークションを設計する必要があります。そこに、学知とビジネス知見の双方が必要になるのです。

――反対に、そういうビジネスの肝を経済学者が知って、経済理論の確立や発展に活かすということもあるのですか。

 その可能性は大いにあると思っています。実経済のデータを活用するからこそ、見えてくる世界というものもあります。このビジネス課題でこの研究テーマを紐づけると新しい研究に繋がるかもしれないという声を、弊社の研究者からも聞きます。若手の研究者から「次の研究テーマにしたい」とか「論文執筆の新たな視点が見つかった」と言われたり、そこから論文化に繋がるケースも出てきています。

――経済学の理論を取り入れて経営学は発展し、経営学は誕生当初からビジネスに役立ってきたと思いますが、今井さんたちのエコノミクスデザインが「経済学のビジネス活用」を今、うたうのはなぜですか。

 近年、経済学は、急速に発展し、変化しています。日本企業で今活躍されている経営者やビジネスパーソンが、かつて大学で学んだ経済学とは異なってきています。このことが、米国企業に比べて日本企業での経済学活用が遅れた要因、さらには競争力の差に影響していると考え、経済学の価値を再認識してもらいたいと思うのです。

 経済学は現実社会の問題に対して、従来のサイエンスの面からだけでなく、エンジニアリングで解決するアプローチも進んできています。この点は、前著の第1章で安田洋祐さんが詳しく書いています。

 この流れは、2002年にアルヴィン・ロス氏という学者がThe Economist in Engineer という論文を発表してから、勢いづいてきました。ちなみに、彼は腎移植マッチングや研修医制度の設計などで多大な貢献をして、2012年にはノーベル経済学賞を受賞します。

 また、著名な経済学者のハル・ヴァリアン氏は、グーグルの検索連動型広告の販売オークションを設計しています。彼はカリフォルニア大学バークレー校やハース経営大学院などで教授職などの要職を務めつつ、グーグルでコンサルタントやエコノミストとして活躍したのです。

グーグルのように、経済学で企業を強くするには?

――経済学のビジネスでの活用は、なぜ米国で先行したのでしょうか。

 経済学のビジネス活用企業として有名なのは、グーグルやアマゾンなど1990年代以降のスタートアップです。彼らの成功要因の一つには、当時から劇的に増えたデータの蓄積をうまく活用したことにあります。グーグルは検索でユーザーのデータを、アマゾンは販売で消費者のデータを、短期間に膨大に蓄積していきました。そして、それら膨大なデータを活用して、ビジネスモデルを進化させ、競争優位を高めていきました。その過程で、経済学の活用が進んだのです。

 もう一つの成功要因は、そうした経済学の学知をビジネスに取り込むには、最先端の理論を研究した経済学者や、経済学修士・博士の人材の価値を理解し、多く採用した経営陣がいた、ということです。

 つまり、グーグルでヴァリアン氏が時代に先駆けて活躍したのは、創業経営者のラリー・ペイジやセルゲイ・ブリンがスタンフォード大学の博士課程で研究していて、学知の価値を理解していたからだと思います。