TOP画像森林監督が「答えに詰まってしまった」こととは? Photo by Teppei Hori

子どもの教育、生徒の教育、部下の教育、そして自身のリスキリング。目まぐるしく状況の変わる現代において「教育」の悩みは尽きない。今回、2023年夏の甲子園で慶應義塾高校野球部を優勝に導いた森林貴彦監督と、小学生〜中学生を対象とした次世代人材育成などの教育事業に深く携わる慶應義塾大学大学院の神武直彦教授が「教育」を軸に対談。くしくも神武教授は小学校の校長経験があり、森林監督は慶應幼稚舎(小学校)の教員でもある。小学生、中学生、高校生、社会人含めた大学院生と、それぞれの教育現場で得た知見をもとに、教育の本質から、感性の磨き方、これからの時代に育むべき価値観まで議論は広がった。(文・構成/奥田由意、編集/ダイヤモンド社 編集委員 長谷川幸光、撮影/堀哲平)

高校の同級生だった森林監督と神武教授
それぞれのキャリアを経て再会

――神武先生と森林監督はもともと、慶應高校の同期とのことで、当時から面識はあったのでしょうか。

神武直彦氏(以下、神武) 高校生のときは、面識はありましたが、森林さんとは知り合いの知り合いという関係で、直接の交流はなかったと思います。大学に入っても学部が違いましたから、いくつかの機会で会えば話をするという感じの関係でした。

森林貴彦氏(以下、森林) 社会人になって、慶應義塾高校の野球部の助監督として(慶應義塾大学の)日吉キャンパスに来るようになったところ、慶應義塾大学大学院の教員となられた神武さんと日吉駅でバッタリ会ったんですよね。スポーツとデータについての研究をしているとのことで、いろいろと話をするうちにさらに親しくなりました。

――同じ高校を出て、日吉で再会するまでの、おふたりの軌跡を教えてください。

森林監督森林貴彦(もりばやし・たかひこ)
慶應義塾高校野球部監督。慶應義塾幼稚舎教諭。慶應義塾大学法学部卒。大学では慶應義塾高校野球部の大学生コーチを務める。卒業後、NTT勤務を経て、指導者を志し、筑波大学大学院にてコーチングを学ぶ。慶應義塾幼稚舎教員をしながら、慶應義塾高校野球部コーチ、助監督を経て、2015年8月から同校野球部監督に就任。2018年春、9年ぶりにセンバツ出場、同年夏、10年ぶりに甲子園出場。2023年夏、107年ぶりの甲子園優勝を果たした。著書に『Thinking Baseball ―慶應義塾高校が目指す“野球を通じて引き出す価値”―』(東洋館出版社)。

森林 私は法学部を出てからNTTに就職しました。でも、どうしても高校野球の世界に戻りたくなって、3年で会社を辞めたのです。

 筑波大学の大学院でスポーツのコーチングを研究し、同時に筑波大学で教員免許を取りました。たまたま慶應義塾幼稚舎(※)の体育専任講師の募集があって2002年に就任し、翌年には小学校教諭の資格も取得しました。
※「幼稚舎」という名称だが東京都渋谷区にある私立の小学校。1874年創立

 以後22年間、小学校の教員をしながら、高校野球のコーチ、助監督、そして監督と、教員とスポーツの二刀流で続けてきました。もちろん、慶應の幼稚舎と高校、双方の理解と協力があってこそ続けることができています。

神武 私は理工学部の大学院を出た後、1998年から今のJAXAの前進である宇宙開発事業団(NASDA)に入社し、H-IIロケットやH-IIAロケット(※)の開発をしていました。
※H-IIA(エイチ・ツー・エー)ロケットは、NASDAと後継法人のJAXAが開発、三菱重工が製造した液体燃料ロケット。基幹ロケットとして、日本の人工衛星打ち上げの自律性を担う。H3(エイチ・スリー)ロケットはその後継

 宇宙飛行士になりたいという夢があり、2008年に宇宙飛行士の募集に応募しましたが、残念ながら途中の段階で選考から漏れてしまいました。

 ちょうどその年、慶應に「システムデザイン・マネジメント研究科」(以下、SDM研究科)という大学院が新設されることになり、狼嘉彰先生(※)から、複雑化する社会においてこれから必要とされる大学院だから、准教授として加わってほしいと声をかけていただきました。
※東京工業大学名誉教授。元・宇宙開発事業団技術研究本部 研究総監であり、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科の初代研究科委員長

神武先生神武直彦(こうたけ・なおひこ)
慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授。宇宙サービスイノベーションラボ事業協同組合代表理事。慶應義塾大学大学院理工学研究科修了後、宇宙開発事業団入社。H-IIAロケットの研究開発と打ち上げに従事。欧州宇宙機関(ESA)訪問研究員を経て、宇宙航空研究開発機構主任開発員。宇宙機ソフトウェアの独立検証・有効性確認の統括やアメリカ航空宇宙局(NASA)、ESAとの国際連携に従事。2009年より慶應義塾大学へ。日本スポーツ振興センターハイパフォーマンス戦略部アドバイザー、慶應義塾横浜初等部長(校長)などを歴任。名古屋大学客員教授。著書に『いちばんやさしい衛星データビジネスの教本』(インプレス)など。博士(政策・メディア)。

 宇宙開発で培った衛星測位やシステムエンジニアリングの知見を中心に、もともと好きだったスポーツをかけ合わせ、「スポーツ×位置情報」などを自分の研究分野として、2009年にSDM研究科に着任しました。

――高校卒業後、お互いそれぞれの道をたどりましたが、スポーツとデータという共通点で交流するようになったのですね。

 ラグビーやサッカー、陸上競技といったスポーツの分野では、GPS(全地球無線測位システム)による位置情報を活用したトレーニングが当たり前になっています。

 そのため、GPSなどを活用したデータを分析しながらのコーチングの相談を多く受けるようになりました。

 大学の野球部や蹴球部(ラグビー部)、森林さん含め高校野球部もそうですが、各部のヘッドコーチや監督と、おのおのが持つデータや、コーチング、チームワーク、フィットネス、メンタルヘルスなど、それぞれの得意分野を共有する合同合宿やミーティングも行ってきました。

複数のキャリアを並行する
「二刀流キャリア」の苦労と意義

――おふたりは、高校の同期であること、スポーツに携わっていることに加えて、「教育に携わっていること」と「複数のキャリアの並行」という共通点もありますね。

神武 毎年、「ジュニアドクター育成塾 KEIO WIZARD」という小学生5年生から中学3年生までを対象としたプログラム(※)を実施しているのですが、ある時、そのことを知った慶應義塾の幹部の方から、本部のある三田キャンパスに来てほしいという連絡を受けたのです。
※国立研究開発法人科学技術振興機構による次世代人材育成事業。慶應義塾大学は2018年度に採択され、システム思考やデザイン思考を活用して物事の理解や、思考、対話、プロトタイピングの経験を提供するプログラムを実施している

 そのような連絡を受けることはめったにないので、これはただ事ではないぞと思いながらお会いすると、「慶應義塾横浜初等部の部長をやっていただけないか。普段、子どもたちにあなたが接しているグローバルなこと、宇宙規模のことを伝えてくれないか」とのことでした。「初等部」というのは小学校のことで、校長のことを「部長」と呼びます。

 大学院の教授との兼務をお願いしたいとのことでしたが、大学院では幹部の立場を担っていましたし、校長として小学校の経営を担うというのは、当然ながら未経験でしたので、「二刀流キャリア」の先輩でもある森林さんにも相談し、背中を押してもらいました。

集合写真連携や共創を目的とし、神武教授の声がけで行われた、慶應義塾大学の野球、ラグビー、テニス、陸上、ホッケーなど体育会のヘッドコーチや監督、教員らによる1泊2日の合宿。唯一、高校から森林監督も参加している 写真提供:神武直彦氏

――森林監督はその時、どう思われたのですか?

森林 ものすごく悩んでいるなと(笑)。「やって損はないよ」「こういういいこともあるはずだよ」と話した記憶があります。

 慶應の教員というのは、自由裁量の幅がだいぶ広いのです。それは良い面が多いのですが、校長となると、それを促進させる一方で、ブレーキ役も担わないといけない。一教員であれば、やりたいことに取り組むことができますが、校長の立場であれば、場合によってはそれをあきらめさせる「悪役」を担うこともあるわけです(笑)。

 神武さんは、コロナ禍での就任なので、特に苦労は多かったのではないでしょうか。小学校教員上がりではない「よそ者」ならなおのことです。

神武 それはもちろん覚悟しました。もちろん、コロナ禍でしたから通常とは異なる判断が多く、悪役にもなりましたけれど、「よそから悪者が来ると警戒していたら、意外にいいやつ」と思ってもらえるといいなと考えながらやっていました(笑)。

――先生や生徒たちとの関係はどのよう構築していったのですか。

神武 まずはじめに、教員の皆さんと「1 on 1(ワン・オン・ワン)」による対話を行いました。

 最初は自己紹介や手続き的な話題が中心でしたが、徐々にプライベートのことや悩み、業務上のアイデアなどを話してくれる方も増えてきて、相互理解が深まったのではないかと思います。

 全員が対象なので時間も要しますし、考え方や置かれている立場、教育方針もさまざまですので、一人ひとり個別にとなると、効率は良いわけではないんですが(笑)。でもとても大事なことなんですよね。

おふたり建物内

森林 共に行動する上で、信頼関係の構築は本当に大事ですよね。

神武 私は小学校の教員免許を持っているわけではないので、ひとりで授業を受け持つことはできません。そのため、学校内外のいろいろな方々に協力をしてもらって、子どもたちの発想や行動力を広げることに力を入れました。

 例えば、国際宇宙ステーションとつないで、子どもたちと宇宙飛行士がコミュニケーションをする、東京五輪の際に、生徒と教員で折り紙でたくさんのメダルを作ってイギリスの選手にプレゼントし、オンラインでコミュニケーションするなど、コロナ禍という制限の中でも、自分のフィールドを活かした企画を実施したりしました。

――大学院における教授との並行は、大変だったのではないですか。

神武 肉体的にはかなりつらいものがありましたが、子どもたちの笑顔を見たり、子どもたちがくれる手紙を読んだりすると、そんなものは吹っ飛んでしまいます。校長を退いた後も多くの手紙やメールを送ってくれるので、うれしいです。悩みを持っている教職員が元気になるきっかけに関われたときも、うれしかったです。

――ここからは、小学生、中学生、高校生、社会人含めた大学院生と、それぞれの教育現場で得た知見をもとに、ぜひおふたりの「教育観」について、じっくりとご対談いただきたいと思っています。著書を拝読するに、森林監督は、「目の前の結果」よりも、選手である学生の「その後の人生」を見据えた教育を大切にされている、そのような印象を受けました。