違う環境、違う発想、
違う感性に触れて、感性を育む

――先ほど、「感性が重要」というお話がありましたが、子どもたち、ないしは自分が感性を育むためには、何が大事だとお考えですか?

森林監督ソロ

森林 小学校では、生徒たちに本物に触れてもらうということを大事にしています。高学年で行う宿泊学習では、山で山菜を採ったり、火をおこして陶器を焼いたりします。リアル体験というのは、やはり感性を刺激すると思うんです。

 大人もリアルな体験をする。芸術に触れるのも、知識や教養としてではなく、実際に目で鑑賞したり、創作してみたりする。もちろん、それですぐに感性が育つというわけではありませんが、「自分はどうありたいか」を考えるきっかけを与えることは、感性を育む上で大事だと思います。

神武 私は3つあると思っていて、まず、何事も「アウトプットする前提で、インプットする」ことです。あとで誰かに教えたり、やって見せたりすることを心がけて取り組むんです。このことを意識すれば、能動的にインプットしやすくなりますし、それが自分の中にとどまり、物事を深く考えられるようになると思います。

 2つめは、「積極的に感じに行く」ことです。それは何もお金をかけて行う必要はありません。自然を感じに行くのであれば、遠くへ行ったり山に登ったりしなくても、街なかの公園だったり、キャンパスの中の庭だったり、探せば自然はたくさんあります。身近なことからでいいのです。

 そして3つめは、「マイノリティになってそれを楽しむ」ことです。例えば、同じ学校や企業などの組織に長い間、所属していて、自分も周囲も同質的だと、そこでの経験や文化が社会全体の常識だと思い込んでしまうことがあります。その組織から飛び出して、いろいろなことに触れ、いつもと違う人に会うことで、自分の常識は世界の非常識だったんだ、自分たちがマイノリティだったんだ、と気づくこともあります。

神武先生ソロ

 特に学生の頃から自分とは異なる価値観に触れておかないと、一定の価値観で思考が固まってしまい、感性が鈍ってしまう。

 ですので、普段と違う場所に行ってみる、あまり参加したことのないコミュニティに参加してみるなど、意図的にマイノリティになってみる。

 最初は違和感なども持ちつつ、それを楽しむことで、感性を柔軟にすることが大切だと思います。

 森林さんの野球部では、知的障害がある特別支援学級の生徒たちと合同練習をされていますが、やはり、さまざまな価値観に触れるということを大切にしているのでしょうか。

森林 そうですね。特別支援学級の生徒が、ボールが一球捕れたことでもとても素直に喜んでくれる。それを部員が見て「自分も初めてボールを捕れたときは、あんなふうにうれしかったな」と、初心を思い出す。試合後、相手チームと食事をしながら話し合うことで、お互い、さまざまな発見がある。そういう刺激を受けることが、双方の感性を磨くことにもつながると思うのです。

 環境が違えば、考え方も違うのは当たり前です。ただ、同じ環境、狭い同質性の中に閉じこもったままでいるのではなく、違う環境、違う発想、違う感性に触れることで、お互いが作用し、そこから新しい感性が生まれる。ですので、神武さんが今、おっしゃったことはその通りだと思います。

他人が敷いたコースはもう歩まなくていい
「自分にとっての幸せ」を追求してほしい

――昨年の慶應高校野球部の活躍を見て、伝統が塗り替えられていく痛快さを感じた人は多かったと思います。変革には相当なご苦労があったでしょうね。

森林 何年か監督をやっているうちに、開き直りました(笑)。どんな世界でも異端が新局面を切り開いてきたはずだ。異端で何が悪い、もう各所に気を使うのはやめにしよう、抜本的に変えようと。そうでなければ意味がないですし、何より、おもしろくないですからね。

 当初はたしかに、OBやほかのチームからいろいろ言われることもありました。でも、声を上げて反対する人たちというのは、だいたい、声の大きな一握りの人たちで、「いいぞ」と思ってくれているサイレントマジョリティは、見えないだけで背後にたくさんいるはずだ、そう思うようになりました。

 たとえSNSでバッシングされても、「それだけ注目してくれているということなんだ、ありがたい」と考えるようにしています(笑)。そうなるまでに時間はかかりましたけれど。

――最後に、これからの時代を担う若い世代に一番、何を育んでほしいか、あらためて教えていただけますか。

おふたり、階段下

森林 私たちのチームの話ではないのですが、野球が好きで始めたはずなのに、「こういう選手になりたい」という思いがあったはずなのに、監督に言われた通りにやるだけになっている、(練習や試合で)叱られないように過ごしている、そういう若者たちをたくさん見てきました。

 かつては、いい学校を出て、いい企業に就職して、生活に困らない家庭を築く、といった「幸せの標準モデル」があり、多くの人はそれで満足だったのかもしれません。

 でもこれからは、皆が違う幸せを追う時代です。

 お金、家族、趣味、仕事など、何を優先するかの基準はバラバラであり、そうした中で「他人任せ」で生きるというのはとてもつらいことです。自分のためにも「自分で考える」。自分にとっての幸せとは何か、何を大切にし、どう生きたいか。常に自問自答し、自分について深く追究する。このような習慣を持ってほしいと思います。

神武 慶應義塾には10の小学校、中学校、高等学校があるのですが、その校長が集まる会合の際に、ある校長の方が「コロナ禍で今、すごくつらいけれど、『生きている』という感じがして、それが楽しくもある」とおっしゃったんですね。

「つらさ」を「生きている実感」と捉えられるのは、すごくかっこいいなと思って、どうすればそのような生き方ができるのか、ずっと考えていたんです。

 小学校でも大学院でも、生徒や学生、保護者から「このような時代にどのように生きていけばいいか不安だ」と相談されることがよくあります。私からは、「こうすべき」というひとつのパターンがあるわけではないので、「自分自身が好きなことと、得意なことをかけあわせて、考えて、行動してみたらどうでしょうか」と伝えています。

 今はたしかに森林さんが言うように「標準モデル」のない、ある意味、厳しい時代です。でも、逆に「素のままの自分でいられる」時代だともいえます。モデルに従う必要がないのですから。しかも、日本は安全で、医療をはじめとして、そこそこの社会的な保障も得られ、今のところ世界的に恵まれた国です。

 自分が楽しいと思うこと、得意だと思うこと、そうした直感に素直に従ってみる。「自分に素直になる」ことが、自分にとっても社会にとっても大切になる。そうした時代が来たことを、若い人たちに伝えたいですね。何より、そのように行動している人はかっこいいですし、世界的にもリスペクトされる人ってそういう人が多いと思います。

 未来のことはわかりませんし、唯一の正解があるわけではないので、今の大人が考えていること、行動していることが、必ずしも正しいことばかりではありません。ぜひ、自分で考えて、行動して、責任を持てる力を育んで、平和でワクワクする未来をつくり出す一員になってもらいたいと思います。

――ありがとうございました。

おふたり