三田紀房の投資マンガ『インベスターZ』を題材に、経済コラムニストで元日経新聞編集委員の高井宏章が経済の仕組みをイチから解説する連載コラム「インベスターZで学ぶ経済教室」。第57回はミクロとマクロ、双方の視点から株式投資の意味を考える。
「投資は推し活」はキレイごと?
明治維新の歴史を振り返る主人公・財前孝史は、西郷隆盛や坂本龍馬といった英雄の言動にフォーカスするのではなく、幕藩体制の経済的窮地こそが歴史を動かした原動力だったと学ぶ。財前はミクロとマクロの視点を組み合わせることの重要性に気付く。
経済では、ミクロとマクロ、両方の視点を持っていないと落とし穴にハマりがちだ。ミクロ経済学や会計は精緻な体系で、カネやモノの流れを克明に追う。ここが分かっていないとおかしな議論に迷い込んでしまう。
一方、一国単位の経済を扱うマクロ経済や金融システムといったテーマは、とらえどころのない経済の土台自体をモデル化して扱う。こちらはミクロの視点だけで見ると、大きな流れを見落としてしまう。
たとえば、新NISA(少額投資非課税制度)をめぐって、あちこちで見かける「投資は推し活」というフレーズ。これには、株式投資をしても企業を応援できるわけではないという批判がある。
ミクロの視点では、あなたがトヨタ自動車の株を買っても、お金はもともとトヨタ株を持っていた投資家に流れるだけだ。おカネのやり取りは株式市場内で完結しており、企業に成長マネーが渡るわけではない。
株価が上昇しても、企業が新株発行を伴う資金調達(エクイティファイナンス)をやらない限り、財務への直接の影響は乏しい。日本の株式市場の売買代金は年間数百兆円に達するが、市場を通じた企業の調達資金はせいぜい数兆円。ここだけ見れば「投資は推し活」は綺麗事にしか見えない。
「株価が上がる」ことの意味
だが、ちょっと引いたマクロの視点からは違う景色が見える。ある企業の株式を保有すること、その会社の株価が上がることは、様々な効果をもたらす。
典型例はM&Aだ。株式は「買収通貨」とも呼ばれる。株式交換方式の合併や買収では、株価が高いことは強力な武器になる。逆に株価が安ければ買収されるリスクは高まる。銀行借り入れや社債の発行でも、株価の低迷はマイナスに作用しやすい。ストックオプション型の報酬を導入している企業なら、株価は経営者や従業員のモチベーションに直結する。
「保有し続ける」という選択が持つ意味も大きい。売ったり買ったりのアクションに目が向かいがちだが、長期保有の株主が増えれば、売りが出にくい分、株価は底上げされやすい。
「会社と同じ船に乗る」長期投資の株主の増加は経営の安定にもつながる。経営陣に白紙委任状を渡せと言う話ではない。本気で企業を推したい株主なら、経営者にとって煙たい「モノ言う株主」の提案であっても、是々非々で判断するはずだ。本気の株主はガバナンスにも寄与できる。
さらに大きな視点で見れば、投資は「効率的な資本市場の形成」という営みに参加することでもある。良い企業は評価されて株価が上がり、ダメな会社は売られる。投資マネー全体を大きな塊と考えれば、それは「見えざる手」の本体そのものだ。インデックス運用であっても、リスクマネーの供給者になることでそれに参画できる。
誤解がないように付記しておくと、とにかく株価が上がれば良いという話ではない。重要なのは市場がまっとうに機能して適正な株価が形成されることであり、そのためにはマネーの厚みが必要だ。私は、日本の株式市場にはまだリスクマネーが足りないと考えている。
「見えざる手」の効用や市場経済システム自体を否定するなら、それは一つの見解だろう。だが、ミクロの視点だけで「投資はしょせんマネーゲームでしかない」と断じるのは視野狭窄ではないかと私は考える。