だから、食料危機の観点から貿易が名実ともにウィンウィンの関係になるには、多くの条件が必要なのである。

 その条件とは、ある国が国産のみで需要を賄えない食料があるという状況においても、

(1)世界には不足する国すべてに行き渡るだけの食料があるため、(2)こうした国ごとのデコボコをならすために輸出する国は売り惜しみや価格つり上げをせず、(3)輸入国には必要なだけの輸入決済資金(例えばドル)があり、(4)必要な量の輸入価格水準が、自給分を担うためには不可欠な国内生産者がはみ出されることがないような水準であること。

 言い換えると、農産物の価格が世界では一つ、一物一価の法則が成立しない限り、誰もどんな犠牲を払うことなく、農産物を輸出し、一方では不足分を輸入するという仕組みをつくり上げることは無理なことなのである。これをもって、農産物の自由貿易、というのであれば筆者も賛同したい。

 ただ、残念ながらそんなことが予定調和的に成立することはないだろう。

 たとえば穀物生産量は、世界で約8億トンも足らない。農産物の生産費が国際水準を超える国は日本や中国・韓国など多数あり、許容できる水準を下回る水準で入ってくる輸入農産物を野放しにすれば、国内農業はすぐにでも衰退・消滅の危機に陥るにちがいない。現に、日本や韓国の農業は、いまにも滅びそうだ。

 他方、輸入能力に欠ける貧しい国は、そのあおりを受けて買えるはずの穀物を買えない恐れが生まれるだろう。これは、豊かな国から貧しい国への飢餓の移転にも等しいことだ。

 以上から、いかなる意味でも農産物の自由貿易は成立しないし、理論的にも成立しないといえる。こうした条件がないままの自由貿易論は、強者をより強く、弱者をより弱者に落とす謀略である。

 だからこそ、あらゆる生産国が自給率を高めることが最良の選択であり、貿易はその補助的な手段と位置付けることを共通の目標とすべきだと思う。